Ryosuke Takahashi

オンラインシェアハウス Kaede Apartmentの管理人です。
95年 北海道生まれ、道南在住
趣味は、旅、映画鑑賞、読書、カフェ巡り

記事一覧(35)

Cloe、そしてY#のもう一つの落とし物

いつか見たフランス映画の主人公の恋人の名前がクロエだった。数十年間童貞として過ごした彼の映画での名前はたしかバージルと言ったはずだ。英語で処女または童貞を意味するバージンからきたのだろう。僕がこれからする話はこのフランス映画とは全く関係ない。関係があるとすれば、この話に出てくる女性の名前がクロエということだけだ。僕のガールフレンドはこの話が1番のお気に入りだった。もう既に何度か話しているが、彼女が実に機嫌のいい夜は僕にワイングラスを持ってきては、ねぇあの話また聞かせてと言ってくる。彼女が仕事から帰ってきて、今日は本当に疲れたと雑にコートをソファーに掛けた時は、僕が優しくそのコートをハンガーにかけながら、この話の冒頭を語りだすと、彼女は小さくクスクス笑いながら、今日は本当に疲れているの、後にしてくれる?とキッチンに手を洗いに行く。とにかく、僕のガールフレンドは、僕の古い友人がクロエと出会った実に奇妙な話が好きなのだ。 僕の友人をここでは仮にY#としよう。Yは彼のイニシャルではなく、全く彼と関係のないアルファベットだ。全く関係がないとは明言できないー彼は昔横浜に住んでいたーが、とにかく彼はY#なのだ。#をつけたのは、村上春樹がそのように登場人物を紹介したことが実にクールだと僕が主観的に思っているだけである。あるいは、彼は僕よりも半音ほどの差で背が高い。 

2021年をタクシーに乗せて見送った夜。

開店5周年を祝う花が至るところに置かれている。 パンデミックから約2年ほどがすぎて、日々報道される感染者の数が大きく減ってきたこの年末に、人々はようやく街に戻ってきたのだった。あと数日で今年が終わる。氷点下10度近くまで冷え込む北海道の冬の夜の空気は、とても張り詰めている。まるでとても細かいガラスの破片が凝縮して固まっているような、そんな感覚がする。 先輩に連れられて、何軒かの居酒屋をはしごして、このお店にやってきたのだった。先輩は、一軒目からやけに上機嫌で、今日は1年を締め括るのにちょうどええ、ちょうどええ、と何本も瓶ビールを開けていた。市電通りから1本道を逸れると、細い路地がいくつも繋がり、歓楽街へと続いていく。キャバクラやガールズバー、スナックなどが乱立する古いビルが何軒も続いている。お祝いをしなきゃいけねんだ。先輩は僕に重たい箱の入ったビニール袋を持たせて、少しフラつきながら古いビルに入っていく。自動ドアのすぐ奥にはエレベーターが2台あり、その真ん中に古い灰皿が置いてある。エレベーターホールの赤いマットには誰かの吐瀉物のシミがある。3階なんだわ。先輩の後に続いてエレベーターに乗り込む。やけに揺れる。ドアを開けると、不愉快な湿気がタバコの匂いと一緒に鼻腔を刺激する。冬の夜の空気で敏感になっている肌にまとわりつくような湿気に、思わず目を細めてしまう。 入り口に一番近い席に案内される。コートを脱いで女性に渡す。僕と先輩の間に一人、そして先輩の横に一人、女性がおしぼりを持って席につく。先輩は僕が持っていたビニール袋から箱を取り出して女性に渡す。 「これ、お祝いのワイン。みんなで飲んで。」 「えー、ありがとう。」 「そして、これ俺の職場の後輩。可愛がってやって。」 僕は、どうも、と小さく会釈をする。 「あんま、こういうお店来ないでしょ。」 僕の隣の女性が笑いかけてくる。こいつはね、すげぇ真面目なんだよ。先輩が言う。

僕の隣に座った女性は、すずと言う名前らしい。源氏名だろう。本名かもしれない。でも僕には関係のないことだ。
僕よりも幾つか年上のようだが、20代と言われてもうなづける容姿をしていた。それはおそらく髪型のせいだと思う。彼女の髪は明るい茶色に綺麗に染められていて、肩の上で切り揃えられたショートヘアーの毛先が幾つか灰色に染められていた。髪を耳にかけると、とても綺麗な形な耳が現れた。肌が綺麗だなと思った。化粧がよくのっていると思った。薄暗い照明のせいかもしれないが、毛穴というものが全く目立たない綺麗な肌だった。彼女は非常に整った顔をしていた。真っ直ぐに伸びる鼻筋と切長の目は彼女の気の強さを表していたし、時折見せる笑顔からは、彼女の幼稚な思考が手にとるようにわかった。彼女には、人生で直面するいくつかの重大事項が数年に凝縮して押し寄せた、そんな雰囲気があった。 事実、彼女はシングルマザーとして、この街の外れの空港の近くの市営団地で娘2人と暮らしているらしい。長女は小学校高学年でミニバスのチームのエースとして活躍している。彼女は週末だけ夜の店で働いている。平日は食品加工の工場で働いている。 「あたしね、娘になんでお休みの日の夜はお出かけするの。って聞かれるんだよね。こういう仕事してるって言えないから、あたし勉強して介護の資格とったんだ。そんでね、娘にはね、おじいちゃんとおばあちゃんの介護をしに行くんだよ。って言うのさ。したら、娘が、なんでそんなに綺麗な服着ていくの?って聞いてくんの。だからね、おじいちゃんとおばあちゃんはこういう服が好きなんだよ。っていうのさ。ウケない?」 「その話、切ないね。」 「だからさ。」 先輩は、隣の女性とプロレスの話をしている。かれこれ30分くらいが経っている。 「なんかさ、ケツの穴みてえな匂いしね?」 「ケツの穴?」 「そう。花かな。胡蝶蘭っていうんだっけ?すげー飾ってあるからさ。」 「ケツの穴の匂い、するかな」 彼女はいたって真剣なのである。僕はその表情におかしくなって笑っていると、彼女は不服そうにハイボールのグラスを口に運んだ。左手にはアイコスを握っている。そうだ、彼女はこの席に座ってからずっと左手にアイコスを握っている。僕にはその姿が、子供が好きな玩具をひとときも離さない姿に見えて、なんとなく切ない気持ちになってしまう。 「タバコ吸うの?」 僕が、いや、と答える隙を与えずに、「吸わなさそー」と鼻で笑った。こいつはね、すげー真面目なんだよ、と先輩が刷り込むよりも僕の佇まいがこの店には馴染んでいないのだろう。 胡蝶蘭の花を揺らして、入り口のドアが開くと、男性の3人組が入ってきた。30代後半くらいだろう。僕の隣の彼女は、「行かなきゃ」と行ってグラスを持って3人の男性の席に移った。先輩は少しウトウトしながらプロレスの話を続けているので、僕は一度トイレに行き、席に戻ると、彼女が男性とどんな話をするのかが、ひどく気になって彼女の会話に耳を傾けていた。 「お姉さん幾つ?」 「私29だよ。ギリギリ20代。」 「あ、そう。彼氏とかいるの?」 「あたし、バツイチだよ。娘いる。」 「マジで?ヤリマンじゃん」 「は?」 「子供何歳?」 「小学生」 「その年で小学生の子供いんの。がっつヤリマンじゃん。」 「テメェ、まじなめんな。」 そこからは早かった。 彼女は立ち上がって、はっきりとその言葉を男性に吐き捨てると、ゆっくり奥の部屋に戻って行って出てこなかった。先輩もその一部始終を聞いていたようで、マジでありえん、気分悪りぃし、帰ろか。と言って会計を済ませた。店を出て、先輩をタクシーに乗せて、見送ったあと、僕は、エレベーターホールの灰皿の前で煙草を吸おうとした。すると、エレベーターから、彼女が降りてきて、僕と目が合うと、「あ、タバコ吸うんじゃん。」と言った。「大丈夫?」と僕が呟くと、「うん、全然、あぁいうのほんとムカつくんだよね。まじありえんしょ」と吐き捨てた。 その後、僕らは黙って、ゆっくり時間をかけて一本のタバコを吸った。 ビルの入り口のガラスの向こうでは、おじいちゃんのようなおばあちゃんが18Lのポリタンクをソリに乗せて、繁華街の道を歩いて行った。 もうすぐ今年が終わる。彼女は、「じゃあね。」と言ってタクシーを拾った。彼女は2021年と一緒にタクシーに乗り込んだ。タクシーはスリップして、後輪を空転させて灰色の排気ガスが不愉快に漂った。僕が吐き出したタバコの煙とどちらが灰色なのだろうと考えていたら、彼女は2021年と一緒に消えていた。歓楽街を抜けようとゆっくり歩き出すと、有象無象がやかましく叫んでいる。行間を読めない阿呆どもが自分だけの価値観を高らかにぶつけてあっている。2021年はそれを嘲笑いながら、街灯が作る僕の影をしっかりと踏みつける。タクシーで見送ったはずの2021年がやかましくついてくる。僕は本当に消えてしまいたいと思った。一緒に消えてしまおうかと2021年に呟くと、2021年は僕の脇をスルスルと抜けて、僕の目の前に仁王立ちすると、ニヤッと一瞬僕に笑いかけて、消えた。

独身男性が使徒に負ける時。

数ヶ月から彼女と同棲を始めた。 この年になると「結婚」というものがやけにリアルな言葉で響いてくる。
年末にようやく根雪になった北海道の雪の上に、しとしとと粉雪が降り積もっていくようにゆっくりと確実に僕の心にその言葉が沈んでいく。除夜の鐘が鳴り響いいて、その余韻が残るように、周りの友人たちとの距離感を感じてしまう。 僕が今の彼女と結婚するかといえば、それはわからない。
結婚だけが二人の形でなくてもいいと、令和のダイバーシティが世間のスタンダードになっていくかもしれない。
夫婦という呼び方以外に、生涯を共にするパートナーという考え方があったっていいはずだ。

同棲という言葉も実に重々しい。
どうやら婚姻届には、「同棲を始めた日、もしくは結婚式をあげた日」という項目があるらしい。
自治体にもよるらしいが、どうやらこの国では男女が家族として新たな一歩を踏み出すには、形式的な儀式が必要らしい。僕と彼女は、「一緒に住もう」とどちらかが言い出したわけでもなく、彼女が僕の生活に突然現れて、そしてその日から、僕の生活は彼女なしでは進まないようになった、という感じである。思えば、高校を卒業してからの数年間、実に自由気ままで自堕落的な生活だった。 「納豆とアボカドの賞味期限が危ないから、今日はアボカド納豆パーティだよ。」  「昨日、炊飯器にご飯入れっぱなしだったでしょ。ちゃんとラップしてよね。罰として、今日はチャーハン(具なし)だよ。」  「昨日入ってた不在連絡票、郵便局に電話してくれた?今日なら18時以降は家にいれると思うよ。」  僕の仕事中、ちょうど仕事がひと段落する16時ぴったりに彼女は僕に連絡してくる。
お金をかけて、特別な時間を過ごすのではなく、普遍的なありふれた日常に彩りを与えてくれる。
家族の風景とはこういうものかと、僕は帰り支度を急ぐ。「最近、早いね。前は遅くまで残ってたのに。」と同僚に不思議な顔をされる。「えぇ、まぁ。」と濁すと、何かを察したような顔で、「お疲れ様」と笑いかけてくる。家に帰る理由が今の僕にはあるのだ。 彼女とはGoogleカレンダーを共有しているので、彼女は僕の予定を把握している。 「明日マッサージに行くんだっけ?帰りに本屋さんで本買ってきてね。読みたい本があるんだ。」 と丁寧にAmazonのリンクを貼り付けてくる。 Netflixに最新の韓国ドラマが追加された時も、「後で観ようね。」と配信日を決して忘れない。
NBAの好きなチームの試合がある日は、リアルタイムで試合を見ることができないから、僕たちは録画された配信を見ることになる。しかし、試合の結果をあらかじめ知ってしまうと僕の機嫌がとても悪くなることを彼女は知っている。朝仕事に行く前に、「SNSの通知切っといてよ。」とぶっきらぼうに言われたことがある。あぁ、この人、本当にすごいな、思う。 結婚の最初の数年間は修行だ。好きな芸人が深夜のラジオで言っていた。その通りだと思う。お互いに気持ちが通じ合っていたとしても、赤の他人が同じ屋根の下で生活をするのは些か難しい。そして人は愛を確かめるために、その愛情を子供へと向ける。しかし、それでも生物としての欲望に抗えるほど僕たちは進化を遂げていない。浮気、不倫、若年離婚、令和のダイバーシティはまだそこまで許容できていない。 しかし、修行というのは、相手の生活を受け入れなければいけないというマインドと、自分の生活を相手に飲み込ませすぎてはいけないというマインドの2つをバランスよく混ぜ合わせるということだと思う。別々の人生を、心地よく混ぜ合わせることができれば、そしてその過程を楽しむことができれば、僕たちはいいパートナーになることができる。いや、そんなことは誰だってわかっている。 いや、もう、どうだっていい。 先の事なんて考えたって意味がない。
人生の本質を問い続ける問答法は、よりよく生きるためには必要なことだ。でも、不確定な未来について想像を巡らせることに合理性はない。人生に綺麗に割り切れる公式は存在しない。例えば、マリア・シャラポワが旦那と別れて僕の前に現れたとしたら、僕は今の彼女に別れを告げて、ロシア語なんて話せないけど、シャラポワとカリフォルニアの彼女の自宅の地下で毎晩一緒にボーリングをすることを決めるだろう。そうなのだ、マリア・シャラポワの自宅の地下にはボーリングのレーンがある。僕のベストスコアは110だし、そんなことはどうでもいい。僕が、シャラポワロスで仕事休もうかなと呟いたら、「いや、行けよ。」と冷たくあしらわれるだけだ。 僕は彼女が整えてくれる新しい僕の日々に感謝している。それだけで十分じゃないか。 「明日は燃えるゴミの日だから、朝ゴミ出しに行くの忘れないように。」 と、僕はiPhoneのリマインダーにフリック入力する。 明日の朝、僕の彼女は、目覚ましのアラームが5:45に鳴った瞬間に、「燃えるゴミ、出す」と僕を起こしてくれるだろう。 彼女と出会うきっかけをくれた、スティーブ・ジョブスには青森県産のリンゴを1tくらい送り付けたかった。Japanese applesの美味しさを知ったら、Apple社のロゴはきっと変わっていただろう。

(交換日記)コーヒーの香りと旅の非日常性について

最近よく思うことがあります。 カフェのテラス席でサンドイッチを食べながらコーヒーを飲んでいる時。 テラス席に面した、それほど交通量の多くない2車線の道路を何台かの車が通り抜けて行く。 向こうからやってくる車の運転席に座る女性が、僕の方を見つめています。もちろん彼女は運転中なので、時折前方の車間距離を気にしながら、それでも僕の方をしっかりと見つめてくるのです。僕は彼女に見覚えがないかと言われたら、素直にうなづく事はできないほど、ぼんやりとフロントガラス越しに彼女の顔の様子を捉えようとするのだけど、やはり僕は彼女に見覚えはありません。そもそも、18歳になった頃に、一生のうちに出会う全ての顔と出会っているという話を昔友人に聞かされたことがあり、そう考えると、26歳になった僕がみる顔は、総じて誰かに似ているということになるので、やはり僕は彼女に見覚えがあるのかもしれない。 時間にして、約5秒をゆっくりと数えるくらいの時間で彼女は僕の視界から消えて行きます。
もしかしたら、あの人は僕の知り合いだったのだろうか、と考え始めてから、その出来事を忘れるまでの時間。
僕はこの時間が、ちょうどコーヒーを一杯淹れるのと同じ時間だと思っています。 ただそれだけのことです。 ただそれだけのことが、日常には溢れている。 そして、その一つ一つが微妙に交差しながら、微妙に溶け合いながら、日常という現実を作り出している。 毎朝淹れるコーヒーの香りを感じる時、僕は日常と非日常のちょうど境界にいるのかもしれないと思い、ゆっくり深呼吸をして、大まかなモーニングルーティーンをこなしながら、現実へと目覚めて行くのです。 旅がしたいなと強く思います。 目が覚めても、コーヒーの香りを感じても、そこはまだ異国の地であって、
これからどんな人に出会うのかも、どんな景色に感動して、そして同時に自分のちっぽけさに絶望するのかも、まるで予想がつかない、そんな旅がしたいなと、強く思います。 コーヒーの香りと、旅の非日常性について。 季節の流れの速さについて行くのが、やっとなのです。 でもそれは、現実の中でのお話。 このオンラインシェハウスの中では、現実と非現実が絶妙に溶け合っていると思います。
それは、僕たち住人がそれぞれの土地で、それぞれの人生を歩んでいて、僕にとってそれは、友人の確かな旅の記憶なのです。この繋がりが消えてほしくないと、思っています。 Kaede Apartmentは10月で、1年半の節目を迎えました。 皆さん、季節の変わり目に風邪など引かぬよう、どうかご自愛ください。

(交換日記)自分が自分で居られる場所

それは部屋のソファーだろうか。柱時計の音の響くカフェの席だろうか。教壇の上だろうか。凪を眺める防波堤の上だろうか。焚き火を眺める庭だろうか。実家の食卓だろうか。SNSの中だろうか。それとも自分自身の思考の中だろうか。僕は人間関係を続ける事が苦手だ。よって自分と向き合う事も苦手だ。相手に対して抱く自分の先入観と、早とちりと被害妄想が重なって、鏡に反射した自分を他人の目線で見てしまう。そしてついに、相手を誤解して、カテゴリーに分けて、その枠からはみ出さない話題を選んで会話をする。君にはこんな事言っても共感してもらえないだろうなぁ。と心の中で呟いて、気まずい沈黙が流れるのだ。本当に欲しいのは共感ではなく、「あなた何様なの?」という叱責なのに。その発言を得るための行動を自分から起こす勇気は僕にはまだない。いつだって隣の芝は青い。あおいというのは僕の初恋の人の名前だ。元気にしているだろうか。記憶というのは時間と共に美化されていく。それは取り壊される前の建物のような、忘れられていく儚さを孕んだ美しさではなく、プラスチックサージェリーを受けた肌艶と不自然な形の乳房のように洗練された紛い物なのだ。後悔を忘れて生きていけるほど、僕たちは強い個として進化したのではなく、後悔から学んで生きていくための生存本能に、まだ感情が追いついていない。例えば、僕は女性と2人でカフェに行き、いつもより高いランチを食べながら2人で会話をしている時に、ミラー効果を狙い相手と同じ姿勢を取り、相手の話には深く共感し、「わかる。」と大袈裟に頷き、質問を繰り返して、自己開示を狙い、さらには吊り橋効果を狙ってあえて絶景を観に行ったりもする。しかし帰宅と同時に得られるのは、大きな疲労感と、「今日は楽しかったです。ありがとう。あのお話面白かったです。次は...」と、その後もいくつか続くであろうLINEのメッセージに嫌気がさしてくるのだ。結論、自分が自分で居られる場所は他人との関係性の中には作れないという事だ。しかしながら今日も生存本能と子孫繁栄の遺伝子の力には耐えられずに、女性の身体をガン見して、横に並ぶ男と自分を比較する。自分の哲学など微塵も感じないその歩き方に、背後から近づいてmother fuckerと吐き捨てて追い越す。歩くスピードが遅いんだよ、と中指を立てる。弱い犬ほどよく吠えるとはこの事か。いずれにせよ、とにかく打席に立つという事が大切だと友人に言われたので、よく行くカフェの店員さんに(『君が珈琲を淹れる姿をみて』を参照してください。)、電話番号を書いた紙を渡して、「とても魅力的だと思っていました。」と伝えると、結婚しているんですと伏目がちに言われたので、僕はあと1万光年くらいは自分磨きをしながら、過ごそうと思います。

シーン95 ”ホテルI 833号室”

「ねぇなんで君はそんなに痩せているの?」  彼女の腹部に放出した精液をふいたティッシュをゴミ箱へ捨てにベッドを離れたとき、彼女はベッド脇においてあったクリスタルガイザーを一口飲んでから聞いた。 「さぁね、筋トレもそこそこしているけど、僕の握力の数値からは全身の筋肉量が低いことが見て取れるみたいだよ。」  彼女はなんとも言わずに、僕を見つめたまま、僕が話を続けるのを待った。 「BMIが基準値より低いことからいろんな問題が生まれるらしいね。痩せ型の人間は太っている人より死亡率が高いらしい。厚生労働省が警鐘を鳴らしているんだって。」「 ケイショウ。」 彼女は初めて聞く言葉みたいに僕の言ったことを繰り返した。 「こっちにくれば?」 そう言って彼女は手を広げた。
言われた通りに、彼女の横に寝て、彼女の長い髪の毛に気を使いながら彼女の首の下に左手を滑り込ませる。彼女は短いキスをして、僕に薄いシーツをかけてくれた。クーラーの風が涼しく、僕らの体温を冷やしていた。 「君の彼女が羨ましいね。」  上目遣いで僕を見ながら彼女が笑った。 君の自慢は何?と聞かれて、少し前に風俗嬢を抱いた時に、彼女が羨ましいと言われたことかなと呟いたのを思い出した。 「彼女いるんだね。」  彼女が優しい声で呟く。僕に聞こえないように呟いたのだろうかと思うほど小さな声だった。 「いや、少し前にフラれたよ。僕は嘘がつけないんだ。風俗に行くなんて最低って言われたよ。まぁ当然か。」  「それは、風俗で働いている人に失礼だよ。彼女たちは、別に他人の傷を舐めたいわけじゃないわ。」  「それもそうだね。僕らは他人のことなんて1mmもわからない。」  だから生きているのだ。こんなにも苦労しながら。 iPhoneが震える。 6時間の睡眠をとるために1時には寝ましょう。  0時30分を回った。

一つの季節の終わり

性転換手術を受けるつもりだと彼が言った時、僕はあまりに実感を持てなかった。 彼は昨日の夕食にナポリタンを食べたのだと同じくらいの内容を話したかのように、僕の混乱に拍子抜けした様子で、細い1mmのピアニッシモに火をつけた。 彼とは中学高校の同級生で、僕たちが別々の大学に通うようになってからもこうやってカフェで2時間程度話をした。一緒に出かけることはなかったし、お互いの家を行き来するような事もなかった。これくらいの距離感がお互いに心地よかったのだと思う。彼の服装はいつも特徴がなく、あれから何日か経ってから、その日の夜に彼が何を着ていたのか思い出せなかったが、いつも小綺麗な整った身なりをしていた。 彼は昔から男の子というよりは女の子のような好みがあったようだ。彼の上には姉が3人いて、その末っ子として生まれた彼は父親からかなりの愛情を持って育てられていたようだった。小学生の頃に、僕が新しいプラモデルを買ってもらったと彼に自慢した時、彼はまるで興味がないといった素振りは一切見せなかったが、どこか彼の本心を押し殺したような冷たい空虚な瞳をその大きな黒目の中に見た気がしていた。勿論僕は、それがなんなのか当時は知るよしもなかったし、それがどういう事なのかをうまく言語化する事ができなかったので、新しく買ってもらったおもちゃの話は別の友人とした方が多いに盛り上がるのだいうことを経験で学んでいった。 後から聞いた話では、彼は玩具屋さんに並んでいる、人間の服を着た小さな動物たちの家を作っていくような女の子向けの玩具をとても魅力的に思っていたらしい。3人姉妹と一緒に遊んでいる時が、彼が本当に楽しいと思っていた時間であって、彼女たちが成長して中学、高校に上がっていくにつれて、彼の玩具に対する感情が周りの男の子とはどうやら違うようだと気づき始めて、彼はその気持ちを隠すようになっていった。彼の父親が誕生日プレゼントに彼に与えた、1/35の戦車の模型に対して、彼は胸の奥を氷柱ですっと突かれるような痛みを感じていた。しかし、彼は箱を大事に抱えて、部屋に戻り、その日のうちに模型を完成させた。彼は驚くほど手先が器用だった。そして、出来上がった戦車の模型を勉強机の上に飾ってから、自分の与えたプレゼントを気に入ってくれたことへの安心感を示すように、滅多に彼の部屋に入ってこなかった父親が彼の勉強する様子を見に来るようになって、ほっと胸を撫で下ろすような感覚を得た。彼は自分の内側の感情を押し殺すことで、周りの人間がこんなにも幸せそうな表情をするものかと、幼いながらに、彼はこの社会の仕組みに気づいたような気がしていた。 

Strangers in the night フランク・シナトラ

 時計の秒針をずっと眺めていると、45分を示す文字盤の9のあたりから徐々に秒針の動きが遅く動いているように感じることがある。文字盤の10をゆっくり過ぎて、11を回る頃にはもう秒針が動く気力を振り絞ってちょうど12のところで動きを止めてしまうのではないかと思うくらいゆっくりと一周を終える。しかし、秒針はそこで動きを止めずに今度はするすると速度を増して文字盤の6まで一気に回ってくる。そうしてまた残りの45度はゆっくりと時間をかけて周っていく。時計の秒針にもきっと重力が働いていて、1分間の3分の1をゆっくり進み、3分の2は急足で周っているように感じる。しかしそんな風に時を刻んでしまうと、正確に時間を測ることができずに、僕の家の時計だけ少しずつ世界から遅れていくような気がしてしまう。僕が時計を見るたびに、時計の刻む時間は少しずつ膨張していくような気がするのだ。  そんな風に時間のズレに気がついたのは、気怠い日曜日の午後だった。久しぶりに一貫性のある長い夢から覚めて、時系列順に夢の中で起きた出来事を整理しようとしていた。 夢の中で僕と彼女は何か大きな組織から逃がれようと東京の街をひたすら逃げ回っていた。夢だとはどこかで認識しているのだが、世間から逃げていく時間の中で、世界にたった2人だけでいることをどこか肯定されているような幸せが僕らの逃避行を支えているような気がした。しかし東京の街にはどこかしこにも監視網が敷かれていて、身を隠す場所を見つけてはすぐに誰かに見つかり、また逃げ出すということの繰り返しだった。 もう逃げることはできないと2人が悟った時、僕は彼女の家に行きたいと言った。どうせ捕まるなら、それまでの時間を1秒でも長く君とゆっくり過ごしていたい。もう逃げるのはやめよう。そんな事を言っていた。彼女は私の家は川をまっすぐ下って行くとたどり着く森の奥にあると言った。僕たちは川を探して走り回り、ようやく見つけた川というよりは、少し幅の広い側溝に2人で入っていった。僕が先に飛び込んで水の流れに身を任せながらただひたすら川を下っていく。途中で流れが急に激しくなり、僕はそこで気絶してしまう。 気がつくと、どこかの森の川岸にうつ伏せで倒れていて、気管に入った水を咳き込みながら身体を起こすと、どこにも彼女の姿が見当たらない。気がつくと急に夢の場面は変わっていて、僕の周りには10人程度の人だかりができていた。僕の身体はまだ水に濡れていて、僕の隣には、彼女の昔の恋人で僕の友人が隣に立っている。僕の周りの人だかりは小さなテレビ画面を見つめていて、そこには僕と彼女の顔写真が大きく映されている。警察はこの2人の行方を見失って現在もまだ捜索中だという事だった。僕と一緒に画面を見ている人は僕に気づいている様子はなく、ただ画面を静かに見つめていた。すると、人だかりから少し離れたところに彼女が同じく全身を水に濡らしながら、長い髪の毛を左肩にまとめて水を絞っているのが見えた。彼女は人混みにいる僕を見つけて、そして同時に僕の隣の昔の恋人の方を少し見て、俯いた。僕は彼女に近づいて腕を引っ張りながら人混みの中に引き込んだ。1人で立っていては、誰かに見つかると思ったのだ。彼女の肩を抱き寄せて、僕の隣の友人を見てみても、彼は全く気がついていない様子だった。彼女の肩は思っていたよりも細く、そして冷たく、小刻みに震えていた。  それからまた場面は変わって、僕と彼女は南国のホテルの一室で肩を寄せ合いながら天井を見つめている。彼女が僕の方を向きながら何か言おうとしているが、彼女は少し複雑な顔をしていて、何を言おうとしているのかわからず、言葉にならない。彼女もその状況に混乱しているようで、ますます表情が暗くなる。僕はまた彼女の肩を抱き寄せて、僕は君と2人で過ごすことができて本当に幸せだと伝える。彼女はようやく微笑んで、うなづいたところで僕は目を覚ました。  そこまで思い出すと、朝起きてすぐに淹れたコーヒーがすっかり冷めてしまっていることに気づいた。まとまらない思考の中で一つだけ確かなことは、世界中の人間から拒絶されたとしても、世間から隔絶されたとしても、僕は彼女と2人で過ごす時間に確かな胸の鼓動を感じていたということだ。そしてようやく彼女が僕に対して同じような感情を向けてくれた時に僕の幸福は形容し難い感情で溢れ、全身の毛穴から意識が抜けていって最後に高い鼓動だけが胸腺を叩き続けるような、奇妙な夢だったということだ。  そんな長い夢を見た後は、自分の時間が世界からズレているように感じるものである。もう一度僕の家の1分ごとに遅れていく時計を見つめて、時刻がもう夕方になっていることに気づく。僕は簡単に顔を洗い、スウェットパンツに白いトレーナーを着て、ジャケットのポケットに薄い文庫本と財布を入れて近場のカフェに行くことにする。  冬の終わりを感じながら少し歩いてカフェに着くと、入り口のガラスドアに張り紙がしてある。営業時間変更のお知らせ。夜の23時までやっていたカフェの営業時間が明日から夜の18時までの営業に変わるようだ。ドアを開けて店内に入ると、何かがいつもと違う。2人の男女の店員の姿はなく、2人の若い女性店員が初めてみる制服を着ている。 「いらっしゃいませ。何名様でしょうか。」 お好きなお席へどうぞと言われ、2階の階段を登ってすぐのいつもの席に座る。メニューも変わっていて、いつも頼んでいたシナモンミルクティーがメニューからなくなっていることに気づく。仕方なくブレンドコーヒーを注文して、タバコに火を付ける。シュガーポットの隣にある白い陶器の灰皿だけが変わっていなくて、少しだけ違和感を感じる。  薄い文庫本を開いて、栞をテーブルに置いて読み始めた時、店内のBGMがオフボーカルのジャズから、フランクシナトラのアルバムに変わっていることに気づく。しばらく文庫本を読み進めていると、自分の座っている椅子が壊れていることに気づく。椅子の足と足を繋ぐ木が片方抜けて床に落ちそうになっている。そのままにしておいて、グラグラと不安定なバランスを取りながら、なんとか壊れないように僕を支えている椅子に座りながら、そのまま文庫本を読み進めていると、女性店員がブレンドコーヒーを運んできた。丸いトレンチからコーヒーカップを僕のテーブルに置こうとした時、彼女の手が少しだけバランスを崩して、大きな音とともに僕の目の前でコーヒーがこぼれた。コーヒーの雫がいくつか僕の白いトレーナーにかかって茶色い染みを作った。女性店員は慌てて謝り、すぐに布巾を持ってきてテーブルの上を拭いた後、新しいコーヒーを持ってきた。僕はそれよりも、コーヒーのマグカップが安っぽい既製品の大量生産された白いマグカップに変わっていたことに驚いていた。  肩を落としながら一階に降りていく彼女の後ろ姿を見つめながら、夢で見た彼女の顔を思い出そうとするが、ここで夢は夢として記憶の片隅で形を変えながら、僕は彼女の顔を思い出すことはできなかった。ちょうどBGMがフランクシナトラのStrangers in the nightに変わった時、一つの季節の終わりのような優しい風が吹いた。

(交換日記)君の恋はロミオに誇れるか

シェイクスピアがロミオとジュリエットを書いたのは今から約400年ほど前のこと。当時日本は江戸時代が始まったばかりのころだったらしい。ロミオとジュリエットと聞けば、「おぉロミオ、あなたはどうしてロミオなの」という有名なセリフを誰もが想像するだろう。仲違いするそれぞれの領主の息子と娘の愛の悲劇である。大体どんなストーリーかは知っているが、物語の詳細まで知っている人は少ないのではないだろうか。じっくり読んでみると、多くの登場人物によって語られるロミオとジュリエットの姿が実に切なく、さらには本当に些細なすれ違いが大きな悲劇を生んでしまうという、「なんでお前そうした!」と言うありがちな月9ドラマの設定は全てロミジュリ的すれ違いと呼んでもいいかもしれない。何が言いたいのかというと、半世紀も前の愛の悲劇に、僕たちはまだ痛いほど共感しているのだ。これは、我々の心が半世紀の間、ほとんど進化していないと言うことかもしれない。歴史的環境、社会的な思想は違えど、愛に対する人間の心の動きというのは、ほとんど進化していないのだ。僕たちは今日も、ロミジュリ効果の中で心の火を激しく燃やしている。話は変わって、最近職場で話題に上がる生徒指導案件は、生徒の恋愛模様だ。僕の担任しているクラスにもカップルは何組かいる。放課後、生徒をいじりながら話しかけると、クラスの恋愛事情を細かく教えてくれる。この時間は実に楽しい。しかし、その反面、行き過ぎた恋愛行動が起きないように注意深く観察しておく必要がある。僕のクラスではないが、少しばかり怪しい動きを見せているカップルもいる。そんな生徒へどうやって指導をするか、これが悩みの種である。男女の付き合い方は性教育と結びついていると思う。第二次性徴期が過ぎてから、異性のプライベートゾーンについて教え、それが侵害されることは問題なのだと教えている。好きな相手だからと言ってプライベートゾーンが犯されると、これはデートDVとして犯罪にもつながるという危険性を持って教えるというわけだが、つくづく日本の性教育は甘いと思う。海外では、どうしたら子供ができるのか、望まない妊娠、性感染症を防ぐにはどうしたら良いのか、これらを事細かに、事実を伝える。しかし、日本の性教育はその真逆と言ってもいい。むしろ、行為よりも先に、命の重みや、命の大切さなど、抽象的な話で性教育を終えてしまう。これには日本と海外の恋愛に対する大きな認識の違いに原因があると思う。海外では、恋愛に対してオープンな姿勢であり、そのために性教育を徹底して教える。しかし日本は、恋愛は秘事であり、公的な場所でイチャイチャしない、周りの目を考える、など集団生活に重心を置いて、性教育へと結びつける。だから、恋愛=よくないことと認識され、だったらバレないようにとこっそり行為に及び、それが性犯罪へと繋がっていってしまうのだと思う。少し話が飛躍してしまったが、男子と女子に対してそれぞれもっとな生々しく事実を伝えればいい。こうしたらこうなる、ああしたらこうなる。そしてその後に、命の重みについて散々伝えればいい。未成年で子供を育てるということがどういうことなのか事実を突きつければいい。相手の気持ちと向き合うということの難しさを突きつければいい。誰かを愛するということは、どういうことなのかしっかりと突きつければいい。誰かを好きになる感情は止められない。それが悪いとは言わない。しかし問いたい。君の恋はロミオに誇れるか。ちょっとセンシティブな話題でした。もっと勉強したいと思います。