僕はまだ波をよく知らない。
サーフィン初体験の備忘録。
海のある街に憧れていた。
山に囲まれて育った自分は、海の持つ開放感に底知れない憧れを抱いていた時期がある。
「どっちにいくの?」
「南よ。海の見える方!」
魔女の宅急便で、箒に乗って街を出るキキとジジの会話が、人生の選択に迷った時の道標になっていたのかもしれない。 海を見つめていると、やはりそこには「なんだ、ただの水たまりじゃないか」と目を細められない強い魅力があると気づく。
海を見つめるときは決まって、その圧倒的なパワーを女性に形容してしまう。
月の引力と、地球の重力と、風と、人間がコントロールできない圧倒的な自然の力によって生まれる波は常に変化して、決して同じ波が浜に打ちつけることはない。波に弄ばれた砂が、不思議な模様を残すように、何人かとの女性との間に起きた出来事が、僕の心の中に、何かしらの模様を残しては、消えていく。僕の目の前に2度と同じ女性は現れることはないのだと、潮風が僕にそっと囁きかける。
僕はまだ波をよく知らない。
ウェットスーツを着て、サーフボードを脇に抱えて海に入っていくときに、足首にわりつく波が、やけに冷たくて少し焦る。 ブレイクした白波をスープと呼ぶらしい。サーフボードにしがみついて、パドリングをする。腕を深く海面に突き刺しても、なかなか身体は沖に進んでいかない。力に任せてバタついていては、自然と溶け合うことはできないのかもしれない。自然に立ち向かっていくのではない、自分もまた、自然の一部なのだということに気づかない限りは、その圧倒的な力の前で、僕は軽く絶望するしかないのだ。
それでも、浜から数十メートル離れた海の上で次の波が来るのを静かに待っている。 遠くの水平線を眺めていると、体が徐々に右や左に流されいることに気がつかない。 浜から沖に向かって動く波の流れがある。カレントと呼ばれる離岸流に流されて、毎年水難事故が相次いでいる。一度波に攫われると、簡単に戻ってくることはできない。そこにもまた、自然の前に無力な人間の力を思い知らされる。
遠くの水平線が一瞬大きく膨らむ。
沖にある岩に波がぶつかっているのだ。大きく盛り上がった波は、数分で大きな波となって浜に押し寄せる。一定期間で生まれるこのセットと呼ばれる大きな波を僕はまだ乗りこなすことができない。サーフボードを自分の後方に投げ捨てて、波がくる直前に海に潜って、波をやり過ごす。右足首に繋いだリーシュが、セットに飲み込まれた サーフボードに引っ張られて、海中で身体のバランスを崩す。軽く飲み込んだ海水はやはり塩辛い。海面に顔を出すと、軽くむせてしまう。
沖から向かってくる波のスピードに合わせてパドリングをする。 波に身体がフワッと押される瞬間に、胸の横でサーフボードを押して、ボードに立ち上がる。この一瞬を逃すと、テイクオフすることができない。足を内股にして、力を込める。腰を下げて、正面を見つめる。ボードを見つめてしまうと、ノーズと呼ばれるボードの先が海面に突き刺さって、身体は前に放り出される。ボードに立つ位置によって、身体が右に倒れるか、左に倒れるかがきまる。波に身体が押された瞬間に、全てのタイミングを合わせて、立ち上がることができれば、うまく波に乗ることができる。
人生で初めてテイクオフ(サーフボードの上に立つこと)ができたあと、スープと呼ばれる白波の上を沖に向かって歩いていく時、波が沖に向かって引いていく強い流れを感じる。波は、絶えず、寄せては返している。それが、カレントと呼ばれる離岸流の流れに合流していく。海の、自然の流れに引き込まれていく感覚に、足を掬われないように、地に足をつけて立ち上がった瞬間。圧倒的な海の力に僕はどこまでも無力なのだと感じてしまう。
今年の夏もまた、僕は圧倒的な女性の波に飲み込まれていくのだろうか。 妊娠、出産という男性が決して経験することのできない圧倒的な自然を身に纏った女性の波は、僕の心にどんな模様を残すのだろうか。僕はまだ、その波をよく知らない。きっと一生かけてもその波を乗りこなすことはできないのだと思う。夕方にかけて、風向きが変わる。夕凪の時間に、everglowとサーファーが呼ぶ永遠に消えることのない夕日の輝きがあるらしい。そんな時間を求めて、僕はサーフボードを脇に抱えて、波に向かっていくのだと思う。波に飲み込まれていくのだと思う。
カモメが寂しく鳴く夕暮れ時に、トンボが飛んでいるのを見つけて、もうすぐ夏が終わっていく実感がする。 全てを夏のせいにして飛び込んだあと、残ったものが、日焼けと虫刺されの跡だけにならないように、僕は地に足をつけて、秋と冬に向かっていくことができる大きな充実感を得たいと思っている。20代後半に差し掛かった今年の夏は、血に汗が滲むような努力ができるラストチャンスかもしれない。
現実から逃げずに、自分から向かっていく。
起きた現象の捉え方次第では、その流れを自分から作り出すことができるかもしれない。
自分の感覚を大切にしたい。
自分の感想に正直であれ。
自分と他人を同時に大切にしろ。
本から知識を得よ。
自然の力に絶望しろ。
他人の話をまずは傾聴しろ。
そして同時に自分との対話、内省の時間を確保しろ。
視野を広げろ。
現状に満足するな。
まだ、夏を終わらせるわけにはいかない。
(恵山、女那川のビーチでRoom 105のTaro Yukinoと)
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