「ありがとうございます」の濫用
これは自戒の意味も込めて書いているのですが、「ありがとうございます」は濫用されすぎなのではないか、と感じます。
仕事でメールやチャットの連絡をとっていると、文頭や文末に馬鹿の一つ覚えのように「お世話になっております」や「お疲れ様です」や「〜いただきありがとうございます」が連発されます。顧客や取引先相手の連絡であればまだしも、社内の連絡ツールで顔の知れた社員同士のやりとりでも毎回「お疲れ様です」から始まるのは面倒でしょうがないし、そもそも必要か?と思います。このめっちゃ素朴な疑問を隣にいる同僚に投げかけたところ「まぁでも一応した方がいいんじゃないかな?言っとけば怒られないし」との事。同僚の言い分も一理ありますが、これはつまり人間関係で生じるリスクを避けている、ということでしょう。その結果「拝見させて頂きます」のような過剰で誤った敬語が生まれるのでしょう。
先日、年下の社員と対面でこんなやりとりがありました。
僕「この場合はメールではなく、チャットで構いませんよ。」
年下「ありがとうございます。」
会話としてはこれでも成立するし、決して間違っている訳ではありませんが、より適した返答があります。
「わかりました。」
です。なぜなら別に礼を言われるようなことではないからです。
さすがにいちいちこんな些細なことをその場で指摘しませんが、なんでもかんでも「ありがとうございます」を連発するのは、自分が初めから低い立場にいることを認めているようなものでしょう。人間関係の基本原則は平等です。上司が部下に命令するのは仕事の立場(役職)が上だからであり、人として優れているからでも、年上だからでもありません。
この問題の根っこはどこにあるのだろうと自分なりに考えてみたところ、やはり幼い頃から全体主義的で体育会系な雰囲気にどっぷり浸かってしまっていたからかなと思います。
僕は体育は大好きですが、体育会系は好きではありません(ここで言う体育会系とは、徹底された年功序列による権力関係です)。先輩・後輩を如実に意識し始めるのは中学の部活動あたりからではないでしょうか?僕は小学校の頃からサッカーをしていたので、中学でもサッカー部に入るのが既定路線でしたが、結局隣町のクラブチームに入団しました(そのため学校内では帰宅部のカテゴリーでした)。そのチームが強かったというのが主な入団理由ですが、それに加えて「一年はボール拾い、最後の大会では三年生を優先的に試合に出してあげる」的なカルチャーが全く肌に合いませんでした。クラブチームはそのスポーツをする為にわざわざ集まる集団のため、当然ながら実力主義です(部活でも強豪校は実力主義のとこが多いように感じます、実力主義だからこそ強豪とも言えそうです)。そこには先輩だから(実際にはたったの1、2歳差)という忖度はありません。その為、上手ければ早いうちから上級生相手の試合にも出ることができましたが、反対に自分が三年になった頃はもっと上手い年下がいれば容赦無くベンチに追いやられました(これは余談ですが、このもっと上手い年下には鎌田大地選手も含まれていて、彼は今ドイツ1部リーグであるブンデスリーガのフランクフルト(元日本代表の長谷部選手も所属)という世界トップクラスのクラブチームでスタメンで活躍しています。将来の日本代表10番としても期待されています)
体育会系が無理、と言っておきながら、何を血迷ったのか新卒では典型的な体育会系の会社に入社してしまいました。入社前はまあ大丈夫だろうと舐めてかかっていたのですが、想像以上に体育会系でした。今でも鮮明に覚えているのは、聞きたいことがあったので僕が席についている上司に近づいて「ただいまお時間よろしいでしょうか?」と話しかけた時に、「席についている先輩社員に話しかける時は、かがんで腰を低くしろ」と言われたことです。未だに相手が先輩か後輩かで腰を低くするかしないかを決めないといけない理由がわからないのですが、僕の感覚がおかしいのでしょうか。もしそうだとしたら納得がいくような理由を説明して欲しいなと切実に思います。
案の定この会社は二年目で退職し、すぐにベンチャー企業に転職しました。そこの環境は前職とは大違いでした。隣では僕と同い年の子が10才近く年上の社員が何人もいる部署でリーダーを努めていました(職位が異なるので給料も僕の倍近くでした)。評価制度も成果主義が中心の為、厳しい側面も当然ありますが、結果さえ出していれば働き方に関して誰からも文句も言われなければ給料にも繋がるためこれはこれで平等です。
こう見ると結局のところ、昔から自分の本質は変わっていないのかもしれません。大学生以降に関しては一年間イギリスに留学した経験もかなり影響しています。海外ではかなりカジュアルでフラットな人間関係が職場でもプライベートでも構築されていて、いわゆる先輩後輩の体育会系の雰囲気は全くありませんでした(少なくとも僕の身近では)。
途中、自分語りも交じって長くなりましたが、なんでもかんでも「ありがとうございます」と言うのは誰からも非難されないリスク回避にはもってこいの姿勢です。このような姿勢が強いられるのはとても窮屈でしょう。もっと対等でフラットな人間関係を全員が安心して築けるような社会の雰囲気になればいいのになと思います。
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