ピースボートのみんなへ

 今から5年前、北海道から出たことなかった自分が、大きな大きな一歩を踏み出しました。初海外、初世界一周でした。

 一緒に旅した「みんな」へ。そして夢をくれたピースボートへ。

 もし3分いただけるなら、少しだけ、旅の思い出におつきあい下さい。こんな文章、恥ずかしいですが……。

――――

 「地球一周の船旅」。大きく書かれたポスターを居酒屋のトイレで見つけたのがきっかけでした。これだ!と直感に従い、勢いに任せてそのまま大学を休学。半年ほどかけて、自分が見つけたポスターを北海道中に貼りまくりました。そうすると、船代が割引になるんです!

 あっという間のポスター貼り期間を終え、不安と期待を抱きながら「オーシャンドリーム号」という名の船に乗りました。友人もいない、家族もいない。一人からのスタートでした。

 クルーを含めると、1500もの人が乗っていました。一つの「動く島」で世界中を巡る。いわば運命共同体の1500人。夢のような旅が始まるんだ!と思っていたら、最初はそうでもなかった。船酔いに苦しめられたからです。最初の寄港地、シンガポールに着くまでは、何も喉を通りませんでした。わずか10日間でマイナス5キロ。最悪のスタートでした。

 船の揺れにも慣れてきた頃、少しずつ話せる人ができはじめました。信じられないほど気さくに話しかけてくれるみんな。人見知りだった自分には、少しだけつらい気もしました。なぜかそんなみんなを避けるように、まさかの公務員試験の勉強に励みました(笑)。振り返ると、「やばいやつ」でした。

――――

 105日間の船旅の三分の一は船の上なので、船上ではいろんなイベントが開かれます。自分でイベントを企画することもできました。「水先案内人」と呼ばれるゲストが乗船し、講演会やワークショップを開いていました。

 そんな中、一つの出逢いで人生が変わるという経験をしました。

 水先案内人の伊藤千尋さんとの出逢いです。元朝日新聞の記者と聞いて、最初は「・・・」でした。新聞はテレビ欄以外開いたことがない。新聞記者って何だろう。そのレベルでした。

 ある日、ふと伊藤さんの講演会に足を運びました。東欧革命の現場で取材した話、ベルリンの壁崩壊の現場で取材した話、反米を貫いた中南米の国々の話……。「聴く」というよりは全身で「聴き入る」といった感覚。生まれて初めてかもしれない、人の話を身を乗り出して聴き入ったのは。

 講演会が終わり、気が付くと伊藤さんのもとへ走っていました。もっと聞きたい。そんな気持ちだったんだと思います。そんな若者を拒まず、受け入れてくれた伊藤さん。次第に、こんな大人になりたい。そう思うようになりました。

――――

 さて、船旅に戻ります。伊藤さんとの出逢いを経て、持っていた公務員試験の本はゴミ箱へ行きました。

 船はインド洋を抜け、北欧を目指していました。ピースボートでは船から一時的に「離脱」することができます。初海外の若造がいっちょまえに、イタリアのカターニアで船を離脱し、船でできた友人2人とイタリアとフランス9日間の旅へ出ました。

 ローマ、ベネチア、ミラノ、ヴェローナ、パリ。映画の世界のような街が広がっている――。そう夢見ていたけれど、事件は起きました。ローマでまさかの食中毒になったのです。ローマの一部とベネチアはほとんどホテルでした。何のために離脱したんだか。

 フランスで船に合流すると、そんな話はとっくに笑い話に。何事も否定せずに受け止めてくれる、そんなみんなでした。ありがとう。

 北欧の国々を巡り、船は大西洋へ突入。中南米を目指しました。グアテマラ、ベネズエラ、パナマ……。サッカー日本代表の試合でしか聞いたことのない国に、自分が立っている。不思議な感覚でした。

 パナマ運河を抜けると、船は長い長い太平洋の旅に。残す寄港地はハワイのみ。この頃、すっかり船内になじんだ自分は、毎日部屋の外に出ていました。毎日誰かとご飯を食べて、毎晩遅くまで語り合っていました。携帯電話が使えない、そんな環境だからこそ、会話が生まれる。こんなに自分のことをさらけ出して人と話すことが、今まであっただろうか。そう思わせてくれるみんながいました。ありがとう。

――――

 最後の寄港地ハワイを抜けると、日本に帰国するのみ。夢のような時間が過ぎ、どんどん現実が近づいてくる。気付いたら、何も分からず誰も知らない場所へ一人で飛び込んだ自分の周りには、多くの人がいました。「てっちゃん」と呼んでくれるみんな。

 約3カ月の船旅。船を下りた瞬間、これでもかというほどの涙があふれました。たった3カ月一緒にいたみんなは、間違いなく一生の仲間になっていました。

 みんな、ありがとう。

 本当に多くの出逢いをくれたピースボート、ありがとう。なくなっちゃだめだ。もっとたくさんの人の夢を乗せて、これからも世界中に平和をばらまいて下さい。

――――

 船から下りた自分は、新聞記者を目指していました。そして、本当に新聞記者になって、今は三重県にいます。時間があれば会いに来て下さい!


Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

0コメント

  • 1000 / 1000

Kaede Apartment

2020年5月に始まったオンラインシェアハウスです。