「不要不急」と「生産性」

 ここ最近「不要不急」という言葉をよく耳にします。感染症の広まりを抑えるため、「不要不急」のことはしないようにしましょうとの事です。しかし、何が「不要不急」かは人によってかなり違いがあり、それ故に事態は余計ややこしくなっているなと感じます。

 そもそも「人間が生きること」こそ「不要不急」なのではないか?という哲学的な問いも浮かんできそうです。「不要不急」という言葉はさすがに粗すぎで、「感染リスクの高い行動」は避けましょうの方が客観的な判断基準が設けやすいのではないでしょうか(3密でソーシャルディスタンスが保てないものは高リスクでしょう)。何から何まで「不要不急」と大雑把にカテゴライズして自粛を促すのは本質的ではないでしょう。

 

 また、在宅勤務をはじめとした新たな働き方が注目されるようになり、「生産性」という言葉もよく耳にします。在宅勤務自体は良い変化だなと思いますが、「生産性」という言葉を履き違えると余計事態は悪化すると最近つくづく感じます。「無駄削減!コストカットだ!」みたいな事をお偉いさんはよく言いますが、そのために何をしているかと思えば、単なる人員削減だったりします。最もコストがかかる人件費を省こうと思うのはビジネスとして自然なのかもしれませんが、その代わりに機械化やIT化によって効率化が進められる訳でも無く、現場では根性論的に残された人員が削減された人員分の負担を気合いと長時間労働で背負う事になっていたりします。

 

 先日、コロナウイルス対策本部は東京都の感染者数を都内にある31の保健所から届くFAXで集計しているという記事を見てびっくりしました。しかも対策本部にあるFAXは2台だけで、感染者1人につきA41枚が届くというのです。最近では感染者が200人を超えるのが普通で、今後もその数は増えると予想される中、「FAXの数を増やさないと!」という皮肉たっぷりの世論も聞こえてきました。

 勘違いしてはいけないのは、「無駄削減!」自体は何の新しい価値も生んでいない事でしょう。今まで2時間かかっていた業務を工夫やテクノロジーを用いて1時間で出来るようにするのが正しい生産性向上の姿であり、その空いた1時間をさらなる価値を生み出すために使うべきでしょう。これは個人に関してもそうで、「無駄削減!節約!」と謳って闇雲に断捨離を進めて超ミニマルに生きても、それはあくまで手段であり、何のためにするのか、その結果どんな良い事があるのか、の方が本質だと思います。断捨離自体を目的化しても幸せには生きられないでしょう。

 そもそも「何が無駄で、何が不要不急か」はある程度未来予測があった上で初めて分かるものなのではないか?とも思います。最初からなんでもかんでも省こうとする考え方では日常を豊かにするアートや芸術などの分野から新たな価値は生まれてこなかったでしょう。一方でFAXとA4の紙で集計なんてどう考えても無駄だとすでに分かりきっているのだから、その分の手間や時間やお金や人員を感染拡大防止のため効果的に分配する方がよっぽど価値も意義もあります。


 ということで感染リスクの高い行動は避けつつ、日々の労働生産性を上げて新たに生まれた時間を人生が少しでも豊かになるように使いたいと思います。





p.s. 又吉さん原作の「劇場」がAmazonプライムと映画館で同時に公開開始されていて、Amazonプライムで観たらめちゃくちゃ良かったので映画館にも観にいこうと思います。現在、映画館はどこも一席空けて座ることになっていて、入場時の検温やアルコール消毒も実施されています。そもそも映画館は感染症拡大以前から換気が徹底されていて、対面でワーワー喋ることもない(たまーに空気の読めない人もいますが)ので感染リスクはかなり低いようです。


 
 

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