『インセプション』を観て考えた自由意思について

 プロジェクターを購入してから自宅で映画を観る機会が増えたので、最近観て面白かった作品を勝手に紹介したいと思う。ネタバレにならないよう配慮するが、図らずも核心に触れてしまっていた場合は今流行りの「自己責任」ということでご容赦ください。

 インセプションを観るのは2回目である。2010年に公開された映画で、初めて観た時から10年も経っていて非常に感慨深い。「アイディアを植え付ける」という発想自体は単純だが、内容は「夢の夢の夢の中」というように重層的に作り込まれていて非常にややこしい。初めて観た時は15才だったことを抜きにしても一度で全てを理解するのはほぼ不可能なんじゃないかと思える程だ。細かい事を言えば矛盾点も所々あるが、これだけ複雑な設定を一本の映画に纏め上げるあたりクリストファー・ノーラン様様である。しかも登場人物の頭文字を並べるとDREAM(夢)になるという手の込みっぷりで本当に芸が細かい。とにかく観終わった後にあれこれ言いたくなる作品であり、ラストシーンは曖昧で、観客に「あれはどういう意味だったのだろう」と考えさせるような結びとなっている。
 
 あらすじをかなりざっくり説明すると、産業スパイのコブ(レオナルド・ディカプリオ)に実業家のサイトウ(俺たちの渡辺謙)がある重要な仕事を依頼する。その内容はライバル企業を倒産に追い込むため、会長の息子ロバート(キリアン・マーフィ)の頭の中に「会社を潰す」というアイディアを植えつけるというものだった。具体的にどう潰すかといえば、父子間のギクシャクした関係につけ込んで、父がこれまで創り上げてきた会社を継ぐ息子に、これまでとは全く異なる方針で会社を経営するよう唆すのである。

 「アイディアの植え付け」が成功したがどうかは実際に映画を観ていただくとして、今回この映画を観て改めて考えさせられたのは、自分は普段どれだけ自由意思に基づいて行動できているだろうか、という事だ。
 じっくり考えてみると、自分の行動は思っている以上にパターン化されているなと思う。すると、当たり前の事だがパターン化された行動からはパターン化された思考が生まれるはずだ。アメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した認知心理学の概念で、アフォーダンス理論というのがある。「提供する」という意味の「アフォード(afford)」から名付けられた造語で、行動は自由に動いているように見えて実はかなり環境に誘発されているとする考え方だ。例えば、道を歩いている、というのも実は道に沿って歩いているだけで道に「歩かされている」とも言える、みたいな事だ。そして、環境に誘発されている行動は、無意識のうちに変えられないと思いながら、実はかなり変えられる部分があるというのだ。それは何によってか?ずばり主体性である。
 

 ある有名な実験で教授が話す事に対して、生徒たちが「うんうん」と頷いたり、「いやいや」と首を横に振ったりするイタズラが行われた。なぜイタズラなのかと言うと、生徒たちは教授の話す内容ではなく、単純に教授が右に動いた時は頷き、左に動いた時は首を横に振っていたからだ。最終的にどんな結果が出たかというと、授業が終わる頃には教授は右端に居たというのだ。この実験で面白いのは、教授は生徒たちの「イタズラ」に最後まで気がつかなかったという事だ。つまり、自分の意思ではなく生徒たちという外部からの影響で無意識に行動させられていたのだ。単にこの教授が鈍感だったのでは?と思わないでもないが、実際に自分がこの「イタズラ」を受けていたらどうなっていただろうか。


 この教授ほど極端ではなくとも、周りの人がみんな笑っているから自分も笑ったり、みんなが良いと言っているから良いと思い込んだりと、我々は日常生活で外部からかなりの影響を受けている。あるひとはこの影響力の事をマーケティングと呼ぶかもしれないし、あるひとはこれを『インセプション』のように、他人の夢に侵入してこっそりと植え付けているのかもしれない。

0コメント

  • 1000 / 1000

Kaede Apartment

2020年5月に始まったオンラインシェアハウスです。