エッセイ 『2人の貴婦人』後編 Paris, France 2015
凱旋門を後にして、今度はエッフェル塔に向かう。
この時点でまだ空は全然暗くないが、すでに19時近い。この時期フランスは22時過ぎまで明るい。2人で30分ほど歩いて、パリ16区シャイヨー宮に着く。ここはエッフェル塔を見るベストスポットだ。
展望台から旅行者がエッフェル塔を持ってみたり、つまんで見たりして写真を撮っている。みんな階段に座りエッフェル塔をバックに大道芸人のダンスパフォーマンスを眺めている。黒人たちが自撮り棒とエッフェル塔の土産物、ビールだなんだと売りつけてくる。彼らをかわしながら、エッフェル塔に近づく。楽しそうに写真を撮るソフィー。ソフィーもまた細く長い手でエッフェル塔をつまんでいる。僕は絶対やりたくない。
エッフェル塔は「鉄の貴婦人」と呼ばれている。
確かに、しなやかな曲線は巨大なエッフェル塔を上品な女性のような佇まいにしている。パリの景観を壊すという理由で建設当初は大論争があったようだが、今ではエッフェル塔がパリの顔だ。どっしりとしていて、でもうっとおしさもない。まさに貴婦人そのものだ。
その横で時に神妙な顔持ちで思い出したようにBeautifulと言ったかと思えば、すぐに楽しそうに笑顔で僕を見てくるソフィー。エッフェル塔と彼女、2人の貴婦人を見ていると、彼女は貴婦人というより、ヨーロッパの田舎町や大自然の中を駆け回っている方がよっぽど似合うなと笑ってしまう。
あぁきっとそうだ。彼女のFacebookのプロフィール画像は例によって典型的な旅好きのヨーロピアンの象徴のように、長い髪をなびかせながらサングラスをかけて笑っている彼女越しに、写真でしか見た事がない自然遺産や観光地やら綺麗すぎるブルーの海が見事に加工されながら広がっているに違いない。
凱旋門の上に彼女が立った時も、エッフェル塔の手前に彼女が立った時も、パリの絵のような景色は、バラードもしくはキャッチーなラブソングのミュージックビデオの中の風景のように変わって行く。
だいぶ陽も傾いてきた。この後、いつホステルに戻るのかソフィーに聞いてみると、特に何も考えていなかったらしい。ディナーを食べてから帰るつもりだと言っていた。ここで僕は勇気を出して提案してみた。
一緒に夜ご飯を食べない?
もちろんいいわ!どこに行きましょうか?
嫌な顔を一つも見せない。こんな事もあるもんだなと小さく震えながら、近場でお店を探す。ちょうどエッフェル塔が見える近場のレストランのテラス席でご飯を食べる事にした。僕は3日後にモン・サン・ミシェルのフルマラソンが控えているため、禁酒をしていたが、ここでお酒を飲まないわけにはいかない。
食前酒を頼み、ライムの効いた果実酒を飲みながら料理を待つ。前菜のサラダ、チーズの後にパスタが来る。完璧だった。
ソフィーは僕と年齢も近く、話も合った。今までどこに旅行に行ったか、将来何をしたいか、家族の話、いろいろ話した。ソフィーも真剣に聞いてくれた。なんていい人なんだろう。
完璧な時間が過ぎて、レストランを後にした。「どこに行くかじゃない。誰と行くかなんだ。」と、友達が言っていたのを思い出した。こういう事か。
だいぶ陽の落ちたパリの静かな通りをメトロの駅を目指してゆっくり歩く。弱い食前酒とは言え、久しぶりに飲んだお酒がやはりいい具合にいい具合となっている。彼女は次の日は南フランスに行くらしい。僕はモンサンミッシェルへ向かう。もちろん泊まっているホステルも違う。ハトが運んできたウン(運)はここで終わる。出会いもここで1度途切れてしまう。心地いい風が吹いたと思ったら、小雨が降ってきた。駆け足でメトロへ向かう。
セーヌ川沿いブルボン宮、エールフランスバスの建物を抜けて、Invalides駅へ。この駅で僕は8番線へ、彼女は13番線に乗る。ここでお別れだ。地下に入ると外よりもっとジメジメしていて、やはり臭いがきつい。チケットを買う。改札を抜けて13番線のホームへ向かう。
すると彼女が、
今日は楽しい時間をありがとう!じゃぁ、またね!
的なニュアンスの事をもっといろいろなセンテンスを交えて言った。そして、僕の首に手を回し、左の頬に軽くキスをした。典型的なヨーロピアンの別れ際のあれこれを終えたあと、あの優しい笑顔で、See you soon!と言って手を振った。
僕もまた典型的な日本人のはにかみでsee you again.と手を振った。ホームにゆっくり消えていく彼女。僕も8番線のホームを目指して歩き出す。この1日の出来事をぼーっとしながら振り返って、気づいたらホステルに着いていた。ホステルでトイレに行って気づいたが、僕の左のほほに薄く彼女の、ソフィーの口紅が付いていた。鼻の下を伸ばしながら、にやけながら、顔を洗って、あぁ典型的なアホな男の象徴だなと笑いながらベッドに沈んでパリ2日目の夜が終わりそうな時、窓の外から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、パリの街角で僕に起こった奇跡に想いを馳せながら、同じような奇跡が世界中の街角で、路地裏で起こっているのを想像しながら、この文章を書いている。
エッフェル塔、2015年 夏
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