Siem Reap, Cambodia 2016年夏

18歳までに出会う人の数が、一生で出会う人の全ての人の人相の数らしい。


この話をすると僕の友達は、そんなのつまらない。もう新しい顔に出会えないのかと呟いたのを思い出す。つまり18歳以降に出会う人は、総じて今まで出会った誰かに似ているという事らしい。この歳になると、もうなるべく会いたくない人が何人かいる。酔った勢いで胸ぐらを掴んで来たハーフとか。嫌な思い出を連想する顔にはできれば会いたくない。
 


僕の友達はよく“そういう目”をする。まるで今から話す事を全て私は理解しています。あなたはこういう人だったものね。という目だ。僕の全人格を容認した上でアドバイスをしてくる。さらには、昔はこうだったのにねと痛いところを突いてくる。そんな目である。できれば会いたくない。見たくない。 



その日は結局1時間待っても男は現れなかった。アンコールワットで朝日を見るには、今泊まっている宿を4時には出なければならない。眠い目をこすって4時前に宿の玄関でボーっと座っていた。欧米人のカップルに次々とトゥクトゥクドライバーが迎えに来る。たまに大きなバンが止まって、アジア人の夫婦を乗せて行く。だんだんと明るくなっていく空。でも男はついに現れなかった。 


昨日の夕方パブストリートを歩いていたところ声をかけて来た男だ。お兄さんトレサップ湖行く?マッサージ?とにかくしつこくついてくる。諦めて明日アンコールワットに行きたいと伝える。数回値切って、宿の名前を伝える。今日4時には男はそのぼろぼろのトゥクトゥクに不似合いなブルーのシャツと派手なヘルメットで現れるはずだった。
 


もうすっかり朝である。
部屋に戻って一眠りするか、前払いにしていなくて良かった。サンダルに裸足を突っ込んで部屋に戻る。同じ頃宿の玄関のソファーに座っているアジア人がいた。若い女性だった。着ているものとそのスタイルから日本人だということがわかった。軽く会釈をして前を通り過ぎた。 


「アンコールワットの朝日ですか?」 


彼女はそう聞いて来た。


 「トゥクトゥクってここで待っていればいいんですよね?もう日のぼっちゃってますかね?」 


僕の眠気も御構い無しに早口で話しかける。そうだと思います。僕も待っていたんですけど、すっぽかされたみたいで...そう答えると彼女は笑って、そうなんですか、多分私もです。と付け加えた。 


「何日目ですか?」


 彼女はおそらく僕と歳が近いのだろう。コロンビアのグレーの帽子を被って、シャツにパーカーを羽織っている。下はやはり、東南アジアのカラフルなパンツを履いている。 


シェムリアップは3日目です。明後日サイゴンに入るつもりです。僕はあえてホーチミンをサイゴンと呼んだ。 


「ベトナム良かったですよ。私は昨日着いたんです、私明後日タイに抜けようと思って、今日アンコールワットに行きたかったんですけどね」
 


やはり彼女も東南アジアを巡っているようだ。ラオス、ベトナム、カンボジア、タイ。この4ヶ国を巡る東南アジアの旅行計画はよく聞く。僕も同じだった。バックパック1つの貧乏旅行だ。

僕らはしばらくそこに座って話をした。途中でコーヒーを作って一緒に飲んだ。僕は彼女が少し苦手だった。例の友達の“そういう目”をたまに見せたからだ。目が座っているというのか、全てを見透かされたように澄んだ目をしていた。そして細い身体の線と華奢な鎖骨がシャツから見えて顔と腕は綺麗に焼けていた。 


「全てから逃げたくなったっていうか。大学も休みだし、お金はそこそこあったから、東南アジアに行ってみようと思ったんです。」


  僕がなぜ東南アジアにきたのか聞いたら彼女は笑って、答えた。そしてよくあるでしょと西洋人の身振りを真似て付け加えた。全く似合っていなかった。でもなんていうか、自分を縛る全てのものから逃れたいはずなのに、ここで誰かを探してしまうんだろうね。とその目で言ってきた。 


そんな話をしているうちに、宿の前の通りはすっかり慌ただしくなり始めて、太陽の熱気と湿気が外の空気を作り始めた。あるトゥクトゥクドライバーが近付いてきて、観光名所の名前と下手な日本語を混ぜながら話しかけてきた。彼女は朝日は見えないけど、アンコールワットに行こうと思う。一緒に来るかと聞いてきたが僕はそれより眠りたかった。彼女は眩しい朝の中に消えて、僕は1人で部屋に戻った。

相部屋の下のベッドからは相変わらずドイツ人が大きないびきをかいていて、僕はボトルの水を一口飲んで蚊帳の中に潜り込んだ。 


僕の例の友達は今インドにいる。3ヶ月目だ。Facebookが最後に更新されてから1ヶ月くらい経つだろうか。何やってんだよ。いいよな自由で。人生は旅だそんなのは嘘だ、俺はどこにも行けないじゃないかと歌っていた男を思い出す。僕もインドに向かおうか、いや僕はアンコールワットにさえ今日行きそびれた。まぁいいかとため息をついて眠った。 



その夜、パブストリートでアンコールビールを買って飲みながら歩いていた。カンボジアのビールうはサラッとしていて飲みやすい。マッサージの客引きを振り払いながら歩いていたら、朝宿で会った彼女を見つけた。ヒゲを生やした欧米人が腰に手を回して歩いていた。彼女は流暢らしい英語と西洋人の身振りで会話をしているようだった。全く不似合いだった。


特に行くところもなかったのでフラフラ彼女の方へ歩いて行くと、彼女が人混みから僕を見つけて手を振ってきた。彼女も少し酔っているようだ。

アンコールワット、どうだった。と聞くと、やっぱり生で見るべきねと答えた。一瞬、彼女は“そういう目“で僕を見つめて、隣の欧米人に僕を紹介しようとした。


僕はなんだかわからないけど、鼓動が速くなるのを感じた。ぬるいビールを流し込むと、缶を持つ手が微妙に震えていた。いい加減、そういう目やめなよ。いつか僕が言われた言葉だ。僕は缶を捨てて彼女の隣の欧米人の男に殴りかかった。周りにいる僕以外の全員が驚いていた。彼女も声を出せずにいた。欧米人の男はすぐに体勢を立て直し僕に反撃してきた。正面から殴られて、倒れ込んだところを蹴られたらしい。僕は吐いていた。欧米人の男を誰かが止めて、どこかへいなくなった。土埃の匂いと吐瀉物の臭いがした。シェムリアップの空港に降り立った時の湿気と臭いが懐かしくなった。そしてまた喧噪が僕の夏の夜を取り戻していった。



カンボジア、シェムリアップ  2016年の夏

アンコールワットの朝日
Ryosuke Takahashi

オンラインシェアハウス Kaede Apartmentの管理人です。
95年 北海道生まれ、道南在住
趣味は、旅、映画鑑賞、読書、カフェ巡り

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