40年前の悲劇と韓国の民主主義~光州ルポ~

 韓国・南西部の光州。40年前の5月18日、この地で悲劇が起きた。後に韓国の民主化の歴史に深く刻まれることになる「光州事件」だ。

 朴正煕(パク・チョンヒ)政権崩壊後の1980年春、全国に民主化を求めるデモが広がり、5月18日、「非常戒厳令」が全土に拡大された。戒厳軍は後に大統領となる金大中(キム・デジュン)らを連行し、光州デモ鎮圧に出動。光州では学生や市民らが激しく抵抗したが、24日、戒厳軍は武力で全市を制圧した。

 多く市民の血が流れた。光州にある「5・18民主化運動記録館」の資料によると、公式の統計で死亡者155人、行方不明者81人、負傷や連行、拘束された人は計4634人という。ただ、遺族団体などが出している数字は違い、どれも正確な数字は不明なところが現状だ。間違いないのは、政治が市民を殺したということだ。


◆韓国・光州の「自由公園」を歩く

 2018年9月、初めて光州を訪れた。

 韓国・ソウルの仁川国際空港からバスに乗ること約4時間、光州最大のバスターミナルに着いたのは夜10時ごろだった。「何か探しているのか?」。ホテルを探していると、中年の男性が声をかけてきた。韓国は何度も訪れたが、観光客向けの繁華街である明洞での客引きを除けば、一般の韓国人から声を掛けられたのは初めてだった。韓国南部の国民性なのだろうか。とっさにつたない韓国語で答えた。「大丈夫です…」。人見知りを発揮してしまった。

 光州にはソウルや釜山と違って高層ビルはあまり多くない。中心部で大きな建物と言えばロッテや「新世界」などの百貨店と車関連の会社ぐらいだろうか。あとは「光州事件」の歴史を記録する博物館などがある。地下鉄は東西をつなぐ1路線のみで、移動は基本的にこの地下鉄を使う。

 中心部に大きな公園がある。「5.18自由公園」だ。ガイドの女性によると、かつて軍事法廷や兵士の収監施設などが設置されていた場所で、当時、市民を拘留し自白をさせるための拷問などをした「尚武台(サンムデ)」と呼ばれる場所があったという。現在は、当時の場所から少し離れた位置に復元。「市民たちが軍部から受けた苦しみや不当な処罰を、後世に記憶する施設です」と、ガイドの女性は説明してくれた。

 公園に入ると、正面に「自由館」がある。民主化運動当時を記録した新聞や絵、写真などが展示されている。軍が市民を襲うさま、逃げ惑う学生たち――。目を背けたくなるような「悲劇」が記録されていた。中でも目にとまったのが汚れた韓国の国旗だった。説明文がついていなかったので、とうとう理解はできなかったが、当時の市民が掲げたものだろうか。「国民としてのプライドが、国によって汚された」。そんな意味を想像した。

 展示室を後にして、復元された施設を歩いた。

 拷問室。中に入ると、設置されたテレビから音声が流れる。「捜査官は、自分たちが望む答えが市民から出てくるまで殴り続けました」。

 市民の取り調べ室。長テーブルと椅子が並び、かつては憲兵隊の食堂だった。ガイドの女性によると、捜査官は、捕まえてきた市民に対し、毎日自白書や陳述書を書かせ、少しでも間違えば血まみれになるまで殴ったという。

 薄暗い監禁部屋。「暴徒」として連行された市民は、1日16時間にわたり正座させられていた。小さな独房に多いときは10人ほどが詰め込まれ、暑さと空腹に耐えていたという。

 「人権なんてものはありませんでした」。ガイドの女性がつぶやいた。

 光州事件を記録する資料館は、自由公園のほかにもいくつかあった。歴史をきちんと残して後世に伝える。そういう場所なんだろう。

 光州事件をきっかけに、韓国全土で継続的に民主化運動が起こった。そして1987年6月、当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領候補が、「国民の大団結と偉大な国家への前進のための特別宣言」(民主化宣言)を発表するにいたった。

 韓国の民主主義で言えば、朴槿恵(パク・クネ)大統領を退陣させたキャンドルデモは記憶に新しい。光州を訪ねてつくづく思った。民主主義を勝ち取った国、そしてその歴史が今日まで受け継がれている国、それが韓国なんだ、と。

 1泊だったが、光州を後にするときは足が重かった。この地で学んだ歴史の重圧からだろうか。バスに乗る前、コンビニでキンパ(のり巻き)を一つ買い、バスでは、光州旅の記録をノートにひたすら書きつづった。ソウルまでは4時間があっという間に感じた。キンパはまだ半分残っていた。


◆光州事件から40年

 今年の5月18日は光州事件から40年の節目の年になる。韓国のハンギョレ新聞によると、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は5.18民主化運動40周年記念演説で、「生者たちは死者たちの声に応えながら、民主主義を実践した。光州の真実を知らせることが民主化運動となり、5・18は大韓民国の民主主義の偉大な歴史となった」とし、後世に受け継がれる意味を強調した。ただ、遺族らは真相究明を求め続けているという。

 たった40年前に隣国の韓国では、こんな悲劇が起きていた。軍が市民を連行し、殺していたのだ。それでもなぜ、市民や学生は軍に立ち向かったのだろうかと考えると、韓国の民主主義の歴史に、隣人であるわれわれ日本人が学ぶことが多いはずだ、と思う。


大瀧哲彰

Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

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