車いすネイリストに学んだ「強く生きる」こと
自分だったら…と考えてしまう。自分が、トム・クルーズのようなハリウッドスターだったら、福山雅治のような美声イケメンだったら、安倍晋三のように日本の総理大臣だったら。もちろんこういった人たちになることはできない。でも、人は想像して楽しむ生き物だ。取材をしていると、よく無意識のうちに取材相手と自分を照らし合わせていることがある。
広島市から車で1時間ほど北に走ると、三次市という「妖怪文化」で有名なまちに着く。2018年12月、このまちでネイリストの中野由佳さんと出会った。突然の訪問にも関わらず、快く迎え入れてくれた中野さん。少し高めのきれいな声と笑顔が素敵な女性だ。LINEのメッセージはいつもきらきらの絵文字とスタンプ付きで返ってくる。
2016年、車同士の交通事故に巻き込まれ、胸から下の自由がきかなくなってしまった。いまは車いすで生活している。
取材を進めているうちに、中野さんの明るい性格にひかれ、すっかり打ち解けた。事故の直後は「毎晩涙が止まらなかった」と、つらかった時のことも話してくれた。
そしてふと思った。自分だったら…。
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ネイリスト、私色の挑戦 事故で障害の中野さん、サロン再開 新たに水泳も
交通事故で大けがを負い、胸から下が不自由になったネイリストの女性が、リハビリを重ねて三次市の実家でネイルサロンを開いた。周囲の支えで、絶望を乗り越えた。リハビリで新たに水泳も始め、事故の前には思いもしなかった「目標」ができた。
「手の動きがスムーズになってきたよね」。施術する中野由佳さん(38)に、高校時代の友人、林優子さん(38)が言った。サロン開設を機に2人は昨夏、約20年ぶりに再会した。「由佳を見ていたら何でもできるって思っちゃう」
2016年3月、中野さんは経営していた東広島市内のサロンから自転車で帰る途中、信号待ちをしていて車同士の衝突事故に巻き込まれた。頸椎(けいつい)脱臼や脊髄(せきずい)損傷の重傷を負った。
胸から下の自由がきかなくなり、約1年半入院。毎晩、涙が止まらなかった。手に力が入らず、電源プラグも抜けない。支えは、大会などで知り合った県内外のネイリスト仲間だった。見舞いに来ては、爪を彩り、「由佳が使えるように」とネイル道具を置いていってくれた。
入院して半年が過ぎたころからリハビリとしてネイルを再開、徐々に道具を持てるようになった。患者たちにネイルを施すと、笑顔が広がった。病室がネイルサロンのようになった。
ある日、重い障害がある車いすの女性が病室を訪ねてきた。付き添ってきた母親に頼まれ、爪をピンク色に塗ると、女性は笑顔で手を前に出して机を押すようにして喜んだ。
「心からのありがとうの気持ちが伝わってきた。人にありがとうって言ってもらえる人生って、ありがたいなあ」。サロンの再開を決意した。17年7月に退院し、昨年3月16日に開業した。事故に遭ったのと同じ日。この日を、うれしい日にしたかった。
今も握力は右手が7キロ、左手はゼロに近いが、ストーンを飾るなど華やかなネイルもできるように。かつての常連客に加え、最近は新規の客も増えてきた。
■新たな希望、水泳でパラ五輪目指す
リハビリとして勧められて始めた水泳も、新たな希望となった。退院後間もなく水に入って「足が伸びるし、体は少し傾けただけでくるくる動く。本当に自由だ」と思った。
18年12月、三重県で開かれた「日本パラ水泳選手権大会」に初めて出場。障害別の部門の50メートル背泳ぎで1分30秒27を記録、部門の日本新記録だった。今年9月にある国内最大の大会「ジャパンパラ水泳競技大会」の出場も決まった。
「チャレンジは人生を豊かにする。前を向いている姿を見せて、同じような立場の人に力を与えたい」。目指すは東京パラリンピック出場という。(2019.2.17)
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中野さんと出会い、感じたのは「強さ」だった。どんな状況でも生きることに真っ直ぐで一生懸命。何より、挑戦を重ね、生きることを楽しんでいる。彼女のその生き方が周りを刺激して、気が付いたら周りは彼女を応援する人ばかり。
何があっても強く生きるのは、難しいかもしれない。でも、「何かあったら、何かあったときに考えればいいですよ」。そう言った中野さんの言葉に救われたのは、自分だった。
大瀧哲彰
【写真】高校時代の同級生にネイルを施す中野由佳さん=広島県三次市、大瀧哲彰撮影
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