幸福論

 つい先日、大学生の頃のベトナム旅行が夢に出てきました。「ベトナム旅行」というと、何だか楽しそうに聞こえますが、全くそんなことはなく、おそらく3泊4日くらいの旅行だったのですが、超絶空前絶後の体調不良でホステルにほぼ寝たきりでした。そのため、「悪夢」と言っても過言ではありません。先日の夢に出てきたのは、ベトナム旅行の最終日に、あまりにしんどすぎてホステルから空港までタクシー移動している場面でした。その時に車内で僕が考えていたことは今でも割と鮮明に覚えています。それは、「うわ、マジで倒れるかもしれない、さすがに海外では死にたくないな、何でもいいからとにかく早く健康だった頃に戻りたい!」ということでした。(帰国後、この体調不良の原因はサルモネラ菌という食中毒的なものだと判明しました)普段健康だった頃は、当たり前すぎて有り難みを感じることもなかった「健康」こそが、その時僕が最も欲しかったものでした。

 その後、なんやかんやあってこの体調不良は完治して、晴れて僕は欲しかった「健康」を手にした(取り戻した)訳ですが、当然ながら?再びその「健康」に対して毎日いちいち有り難みを感じる訳でもなく、粛々とまた日本での日常に帰っていきました。


 「健康」に限らず、失った時に(失いそうになった時に)なってようやくその有り難みに気が付くものってたくさんあると思います。お金、仕事、食料、住居、友人、恋人、家族etc,,,


 お金に関して言えば、「もっと年収を上げたい!」と思うこともよくありますが、実際に、ノルマ等を達成して基本給が上がった瞬間はすごく満足感を覚えます。ただ、数ヶ月後にはまた「さらに年収を上げたい!」と思うようになっている自分に気がつきます。貯金や積立投資もあって、去年の自分よりも今の自分は資産が増えていて、支出はほとんど変わっていないはずなのになぜか、「もっとお金が欲しい!」と思うようになっています。(四六時中感じる訳ではありませんが)「じゃあいくいらあれば満足なのか?」と聞かれれば、「多ければ多いほど良い」とでも答えそうです。結局のところ、この欲求は際限がないのかもしれません。

 しかし一方で、時間は有限で、際限があります。(際限があります、ってそんな日本語ありますかね?笑)あのジェフ・ベゾスでも、イーロン・マスクでも、お金は簡単に増やせるかもしれませんが、時間を増やすことはできません。(1時間かけていたものを、生産性を上げて30分で終わらすことにより、実質30分生まれる、みたいな作り方はできるかもですが)

 お金に限らず、友人や恋人、家族も自分の意思や努力だけて手にすることはできないように思います。つまり、実はお金の希少性というのは、案外序列の下の方なのかもしれないなと思います。お金で手に入れられるものは、ある程度たかが知れているということなのかも知れません。


 ということで、ベトナム旅行の夢を見た話からだいぶ脱線した気がするのですが、いま目の前にある当たり前なものも、本来は有難いものなのだということを忘れないようにしたいと思います。その上で、ちゃんと優先順位を見誤らないようにしないと、人生勿体無いので、周りに流されず、自分の幸福を大切にしていきたい所存であります。



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