2021年をタクシーに乗せて見送った夜。

開店5周年を祝う花が至るところに置かれている。 


パンデミックから約2年ほどがすぎて、日々報道される感染者の数が大きく減ってきたこの年末に、人々はようやく街に戻ってきたのだった。あと数日で今年が終わる。氷点下10度近くまで冷え込む北海道の冬の夜の空気は、とても張り詰めている。まるでとても細かいガラスの破片が凝縮して固まっているような、そんな感覚がする。 


先輩に連れられて、何軒かの居酒屋をはしごして、このお店にやってきたのだった。先輩は、一軒目からやけに上機嫌で、今日は1年を締め括るのにちょうどええ、ちょうどええ、と何本も瓶ビールを開けていた。


市電通りから1本道を逸れると、細い路地がいくつも繋がり、歓楽街へと続いていく。キャバクラやガールズバー、スナックなどが乱立する古いビルが何軒も続いている。お祝いをしなきゃいけねんだ。先輩は僕に重たい箱の入ったビニール袋を持たせて、少しフラつきながら古いビルに入っていく。自動ドアのすぐ奥にはエレベーターが2台あり、その真ん中に古い灰皿が置いてある。エレベーターホールの赤いマットには誰かの吐瀉物のシミがある。3階なんだわ。先輩の後に続いてエレベーターに乗り込む。やけに揺れる。ドアを開けると、不愉快な湿気がタバコの匂いと一緒に鼻腔を刺激する。冬の夜の空気で敏感になっている肌にまとわりつくような湿気に、思わず目を細めてしまう。 


入り口に一番近い席に案内される。コートを脱いで女性に渡す。僕と先輩の間に一人、そして先輩の横に一人、女性がおしぼりを持って席につく。先輩は僕が持っていたビニール袋から箱を取り出して女性に渡す。 


「これ、お祝いのワイン。みんなで飲んで。」 


「えー、ありがとう。」 


「そして、これ俺の職場の後輩。可愛がってやって。」 


僕は、どうも、と小さく会釈をする。 


「あんま、こういうお店来ないでしょ。」 


僕の隣の女性が笑いかけてくる。こいつはね、すげぇ真面目なんだよ。先輩が言う。 僕の隣に座った女性は、すずと言う名前らしい。源氏名だろう。本名かもしれない。でも僕には関係のないことだ。 僕よりも幾つか年上のようだが、20代と言われてもうなづける容姿をしていた。


それはおそらく髪型のせいだと思う。彼女の髪は明るい茶色に綺麗に染められていて、肩の上で切り揃えられたショートヘアーの毛先が幾つか灰色に染められていた。髪を耳にかけると、とても綺麗な形な耳が現れた。肌が綺麗だなと思った。化粧がよくのっていると思った。薄暗い照明のせいかもしれないが、毛穴というものが全く目立たない綺麗な肌だった。彼女は非常に整った顔をしていた。真っ直ぐに伸びる鼻筋と切長の目は彼女の気の強さを表していたし、時折見せる笑顔からは、彼女の幼稚な思考が手にとるようにわかった。彼女には、人生で直面するいくつかの重大事項が数年に凝縮して押し寄せた、そんな雰囲気があった。 


事実、彼女はシングルマザーとして、この街の外れの空港の近くの市営団地で娘2人と暮らしているらしい。長女は小学校高学年でミニバスのチームのエースとして活躍している。彼女は週末だけ夜の店で働いている。平日は食品加工の工場で働いている。 


「あたしね、娘になんでお休みの日の夜はお出かけするの。って聞かれるんだよね。こういう仕事してるって言えないから、あたし勉強して介護の資格とったんだ。そんでね、娘にはね、おじいちゃんとおばあちゃんの介護をしに行くんだよ。って言うのさ。したら、娘が、なんでそんなに綺麗な服着ていくの?って聞いてくんの。だからね、おじいちゃんとおばあちゃんはこういう服が好きなんだよ。っていうのさ。ウケない?」 


「その話、切ないね。」 


「だからさ。」 


先輩は、隣の女性とプロレスの話をしている。かれこれ30分くらいが経っている。 


「なんかさ、ケツの穴みてえな匂いしね?」 


「ケツの穴?」 


「そう。花かな。胡蝶蘭っていうんだっけ?すげー飾ってあるからさ。」 


「ケツの穴の匂い、するかな」 


彼女はいたって真剣なのである。僕はその表情におかしくなって笑っていると、彼女は不服そうにハイボールのグラスを口に運んだ。左手にはアイコスを握っている。そうだ、彼女はこの席に座ってからずっと左手にアイコスを握っている。僕にはその姿が、子供が好きな玩具をひとときも離さない姿に見えて、なんとなく切ない気持ちになってしまう。 


「タバコ吸うの?」 


僕が、いや、と答える隙を与えずに、「吸わなさそー」と鼻で笑った。こいつはね、すげー真面目なんだよ、と先輩が刷り込むよりも僕の佇まいがこの店には馴染んでいないのだろう。 


胡蝶蘭の花を揺らして、入り口のドアが開くと、男性の3人組が入ってきた。30代後半くらいだろう。僕の隣の彼女は、「行かなきゃ」と行ってグラスを持って3人の男性の席に移った。先輩は少しウトウトしながらプロレスの話を続けているので、僕は一度トイレに行き、席に戻ると、彼女が男性とどんな話をするのかが、ひどく気になって彼女の会話に耳を傾けていた。 


「お姉さん幾つ?」 

「私29だよ。ギリギリ20代。」 

「あ、そう。彼氏とかいるの?」 

「あたし、バツイチだよ。娘いる。」 

「マジで?ヤリマンじゃん」 

「は?」 

「子供何歳?」 

「小学生」 

「その年で小学生の子供いんの。がっつヤリマンじゃん。」 

「テメェ、まじなめんな。」 


そこからは早かった。 


彼女は立ち上がって、はっきりとその言葉を男性に吐き捨てると、ゆっくり奥の部屋に戻って行って出てこなかった。先輩もその一部始終を聞いていたようで、マジでありえん、気分悪りぃし、帰ろか。と言って会計を済ませた。


店を出て、先輩をタクシーに乗せて、見送ったあと、僕は、エレベーターホールの灰皿の前で煙草を吸おうとした。すると、エレベーターから、彼女が降りてきて、僕と目が合うと、


「あ、タバコ吸うんじゃん。」


と言った。


「大丈夫?」


と僕が呟くと、


「うん、全然、あぁいうのほんとムカつくんだよね。まじありえんしょ」


と吐き捨てた。 


その後、僕らは黙って、ゆっくり時間をかけて一本のタバコを吸った。 


ビルの入り口のガラスの向こうでは、おじいちゃんのようなおばあちゃんが18Lのポリタンクをソリに乗せて、繁華街の道を歩いて行った。 


もうすぐ今年が終わる。


彼女は、「じゃあね。」と言ってタクシーを拾った。


彼女は2021年と一緒にタクシーに乗り込んだ。タクシーはスリップして、後輪を空転させて灰色の排気ガスが不愉快に漂った。僕が吐き出したタバコの煙とどちらが灰色なのだろうと考えていたら、彼女は2021年と一緒に消えていた。


歓楽街を抜けようとゆっくり歩き出すと、有象無象がやかましく叫んでいる。行間を読めない阿呆どもが自分だけの価値観を高らかにぶつけてあっている。2021年はそれを嘲笑いながら、街灯が作る僕の影をしっかりと踏みつける。タクシーで見送ったはずの2021年がやかましくついてくる。僕は本当に消えてしまいたいと思った。一緒に消えてしまおうかと2021年に呟くと、2021年は僕の脇をスルスルと抜けて、僕の目の前に仁王立ちすると、ニヤッと一瞬僕に笑いかけて、消えた。





Ryosuke Takahashi

オンラインシェアハウス Kaede Apartmentの管理人です。
95年 北海道生まれ、道南在住
趣味は、旅、映画鑑賞、読書、カフェ巡り

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