(交換日記)学習指導員の話
前回ハローワークにいった記事を書いたのが去年の8月と気づき、驚愕している。
去年の9月に始めた学習指導員の仕事は、任期満了ということで3月に退職した。教頭先生からは「4月以降も引き続き勤務して欲しい」というありがたいお話を頂いたが、塾講師とのダブルワークで自分の時間を確保できなかった(体力のない僕には難しかった)こともあり、泣く泣くお断りすることにした。
中学校での僕の仕事は、基本的に授業をする先生方のサポートだ。教室をグルグル巡回しながら授業の準備を促したり、寝ている生徒に声をかけたり、問題演習で分からないところを教えたり、時には一緒に体育の授業に参加したりもした(そして自分の年齢と筋力の衰えを自覚した)。授業が終わると10分休みの時間がある。先生方は次の授業準備があるので職員室に戻ることになるけれど、僕は特にやることもないし、職員室独特の空気感があまり得意ではないから教室で生徒達と過ごすことにしていた。
担当をしていた1年生とは、年齢的に一回りの差がある。加えて、僕は控えめに言ってそれほど明るい性格ではないし、自分が中学生の時を思い出してみても、教室の隅の方で寝ているような生徒だったから、正直コミュニケーションの取り方が全く分からなかった。勤め始めてから最初の3ヶ月くらいは、知り合いが一人もいない結婚式の2次会に参加しているような気分だった。
それでも興味を持って気さくに話しかけてくれる生徒も何人かいて(逆に気を使ってくれていたのかもしれない)、特に好奇心旺盛な紳士淑女たちは色恋事にはとにかく目がないから、やれ彼女はいるのか、タイプはどんな人だ、経験人数は何人だ…と湯水の如く質問が飛んでくる。戸惑いながらも、お陰様で少しずつ打ち解けていくことができたのは幸いだった。
みんな、良くも悪くもその時の気持ちに素直に生きていた。喜怒哀楽をオブラートに包むことなく、常にド直球のストレートを投げていた。ストライクかボールかなんて関係なくて、もっと言えば打者を打ち取ることすら考えていない。だから時々大暴投のデッドボールをくらうこともあって、それは大人になってからは滅多に経験することのない種類の痛みだった。けどそれも含めて、僕にはそれがとても羨ましく、美しく見えた。
とはいえ、大人として社会で生きていくためには、やっぱり投げるべきコースや球種、相手打者の心理を考えていかなければいけない。きっとこの先皆もそれを自然と学んで、自然とこなしていくんだろうなと思う。少し寂しいけれど、それはそれで大切なことだ。それでも、時には自分の思いを歪めずに、真直ぐに相手にぶつける強さと潔さを忘れないでいて欲しいと願っているし、自分自身もそうありたいなと思った。
終業式の日、沢山の生徒が話かけてくれた。「インスタ教えてください」「皆のこと忘れないでね」「辞めないでください」「先生大好き」と、相変わらず困惑するほど胸に刺さる言葉を投げてくるから、僕はそれを受け止めるだけで精一杯だった。見逃し三振。
やっぱり、コミュニケーションの基本はストレートなんだね。教えてくれてありがとう。
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