「親知らずを抜くときの僕が考える看護師とのコミュニケーション」
現場の逼迫。
夜勤。高齢者への対応。コロナ感染者への配慮。無機質な病室。いびき。取るに足らないのではと思わず声を漏らしたくなるような不平不満の嵐。
そんな殺伐とした中でも、日々生きなければならない。
どんな毎日もみんな生きてるなあって感じた。
そこにはそれぞれの抱えてる葛藤があり、将来設計があり、人とつながっていたいという貢献欲がある。
明日も恐らく日は昇るし、朝ごはんにいちごジャムのトーストを食べる人もいるだろう。
科学技術の進歩や人口減少、高齢化、気候変動。
山積する問題があっても、今生きるほかないみたいだ。
時は無常にも流れてしまう。
もう高校生には戻れない。
艶々の肌で行き場のない悶々としたエネルギーを携えた青春時代はニ度と戻ってこないのだ。
中学三年生のときのクラスメイトの言葉が蘇る。
「15歳は今しかない。
今この瞬間が人生で最も若いんだ。」
気持ち次第で若々しさは保てるさ。
運動習慣、食生活、飽くなき挑戦欲。良好な人間関係。
でもそこには過ごした年月という物理的に超えられない圧倒的な"時間の重み"がある。
歳を重ねるごとにできることは増えていくかもしれない。
色んなことに良くも悪くも折り合いをつけられるという技能も学んでいく。
自分を少しばかりコントロールできるようになるのかもれない。
でもその年齢でしか楽しめない"感情"があると僕は思う。
その時だからこそ味わえる"感情"があると思う。
26歳の僕は、どのようにしてこの短い函館の夏を噛み締めたいのか。
大森浜で鈴木真海子のラップを聴きながら、瓶ビール片手になれない手つきでタバコをふかしてるのか。
何時間も飽きることなく夜の波音を聴き入っているのか。
いずれにしてもこの夏は自分にとって大きな意味を持つものになるであろう。
ラストモラトリアムサマー。かな。
Vibes up.
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