彼女が曲がりきれないカーブの遠心力と満月のサンゴの産卵について Ishigaki-Island, 2016 summer
「車にかかる遠心力は車の速度の2乗に比例して大きくなる。」
牛乳瓶の底のような厚底メガネをかけた物理の先生が黒板に訳の分からない記号を書きながら説明している。
物理赤点組の夏季講習は今日が最終日だ。短い夏の命に焦るように鳴き続ける蝉の声がやたらと喧しい。
「静かさや岩に染み入る蝉の声」なんてよく言えたもんだと思う。
数年前の記憶を辿っている。
2016年の初夏、僕は石垣島にいた。
石垣島の南、八重山観光フェリー乗り場のすぐ近くにBananaCafeという店を見つけて入ることにする。
友人と飲んだ泡盛の酔いを醒ますために見つけた小さなカフェだった。
彼女はカウンターでチョコレートパフェを食べているところだった。 長い黒髪と、小麦色に焼けた肌が暗い店内からでもよくわかった。
「遠心力にかかる力はxgという単位で表す。」
気圧と水圧はPaで表す、重力はN。人間にかかる力の単位が多すぎる。全て同じ単位で表して欲しいと願いながら、ノートに板書を書き写す気力が夏の蒸し暑さに奪われていく。
「あの物理の先生のクラス赤点ばっからしいぜ、全く信用ならないよなこの授業」
隣の友人が携帯を片手に話しかけてきたのを思い出す。
しかし、初夏の石垣島の夜の暑さも相当なものだと思う。
冷房の効いた店内で、僕もチョコレートパフェとアイスコーヒーを頼むことにする。
彼女のうなじには天秤座のタトゥーが入っている。
天秤座なんて暗くてよくわからないじゃない。よく知っているね。長い黒髪を持ち上げて僕に見せてくれた。
天秤座はギリシア神話で正義の女神とされていたアストリーテが手にしていた天秤だとされている。
私が見る夢はよく当たるの。
「私のおばあちゃんが所謂シャーマンで、あの人は良くないとかよく言っていたの。おばあちゃんと私は一緒だって小さい頃からずっと言われてた。私が夢でおばあちゃんが死ぬのが見えた1ヶ月後におばあちゃんは亡くなったわ。悲しかったけど、涙が流れなかった。きっとおばあちゃんも分かってくれると思ってたからね。」
「 僕の後ろには何が見える?」
「そうね、きっとあなたは現状維持ね。悪くないと思うわ。あなたは変わりたいっていう強い思いを持っている。彼女いるでしょ。彼女の想いがとても強く見えるわ。」
そう言ってモヒートのグラスを傾けると、ミントの香りがした。
「私はハイウェイの右カーブを曲がりきれずに死ぬの。遠心力を弱めるには、カーブの直前でブレーキを踏んで減速しなければいけないんだけど、ブレーキが効かなくて、そのまま遠心力に耐えらずに、ガードレールを突き破って車は崖から海に落ちるの。かなりな大事故だけど、きっと苦しまないと思う。最近そんな夢を良く見るの。」
重力によって僕たちが影響を受けている様々な力について考えている。
彼女が潜る水深50mにかかる水圧はどのくらいなのだろう。
彼女が曲がりきれないカーブに時速100km で突っ込んだ時にかかる遠心力はどれくらいなのだろう。
僕が彼女に引き寄せられた重力はどれくらいなのだろう。
彼女のタトゥーの天秤は重力によって傾くのだろうか。
サンゴの産卵は満月の夜に静かに行われるらしい。
重たい酸素ボンベを背負って、彼女の後に続いて夏の海に潜った。
(石垣島ー西表島ー鳩間島、2016年夏、Room 105のTaro Yukino、Room 201のAyaka Hanamotoと)
0コメント