住民が止めた原発:9完)「芦浜原発を止めたまち」 福島の事故が与えた衝撃
原発がなくて良かった
「芦浜に原発がまた来るらしい――」
そんな話が南伊勢町古和浦地区に広まったのは、2011年3月に起きた東日本大震災の前月のことだった。かつて中部電力の芦浜原発建設計画に反対していた住民たちは、ピリピリしていた。
まもなく、その話とつながる事実が判明する。
この年の2月24日に中電が打ち出した原発の新規立地方針の公表前に、三重県の自治体に事前説明をしていたのだ。具体的な地点は示されなかったが、芦浜の計画の歴史を知る住民たちの頭には、すぐに「芦浜」の2文字が浮かんだ。
さらに同じ年の3月11日午後4時には、古和浦漁協で集会が予定されていた。反対派住民だった磯崎淑美さんは、芦浜原発を再誘致するための集会だといううわさ話を耳にしていた。「どっかで事故が起こらないと、芦浜が本当に止まることはないのか」。そんな思いさえした。
だが、事態は急変する。漁協の総会のわずか1時間ほど前、東日本大震災が起き、総会は流会に。東京電力福島第一原発の事故も起きたことで、芦浜原発再誘致の話は消えた。
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福島の事故は、かつて原発を推進していた大紀町の関係者にも衝撃を与えた。
「自分なりに信じていたものが崩れた瞬間だった。反省したというか……」。そう振り返るのは谷口友見町長だ。原発の視察は62回に上り、自分の目で見て安全だと信じてきた。「電力会社でも自然災害には勝てなかった。放射能の怖さを実感した」
主婦の谷口都さんは事故のニュースを伝えるテレビ画面を直視できなかった。「原発が崩れているのを見たくなかった。自分が信じてきたものが否定されているようだった」
それでも、胸の内に消えない思いを抱えているのも事実だ。「あのとき原発が来ていたら、町の暮らしも良くなっていたかも」
一方、かつて旧南島町で反対を訴えた歯科医師、大石琢照さんは地震が起きてすぐに、福島に原発があることが気になった。嫌な予感は的中し、事故は現実のものに。「芦浜に原発がなくて良かった」。心の底からそう思った。
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芦浜原発計画が白紙撤回されてから5年後、近隣自治体と合併し、候補地だった南島町は南伊勢町、紀勢町は大紀町になった。いずれの町も、人口減少と少子高齢化が進んでいる。
南伊勢町には、南島町時代に建てられた石碑がいまも残る。「芦浜原発を止めたまち」と刻んだ大きな文字に続き、37年に及んだ混乱の歴史を伝える。かつて住民たちが経験した苦悩を再び繰り返さないために。=おわり(大瀧哲彰)
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