住民が止めた原発:8)地元紙ただ一人の記者 原発マネーの闇スクープ
原発マネーの闇を暴く
「『300万円事件』の真相を探る 困惑する紀勢町・中部電力」
原発の建設が計画された芦浜周辺をエリアとする地元紙「紀州ジャーナル」の1977年3月13日付の紙面に、大きな見出しが躍った。紀勢町長が中電側から「機密PR費」として、現金300万円を受け取っていたことを報じたスクープ記事だった。
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書いたのは、紀州ジャーナルでただ一人の記者だった北村博司さんだ。75年に紀伊長島町議選で初当選して以来、議会活動の広報紙として毎週発行してきた。この「300万円事件」をきっかけに、芦浜原発問題を紙面で取り上げ始めるようになった。
「全国紙の記者は、芦浜問題で何か起きるもしくは起きそうなときにしか取材に来ないし、報道も遅い。それならとことん地元に入り込んで取材しよう」。全国紙とは違う視点で、地元の漁協や住民を取材した。
主に出入りしたのは南島町。3、4日に1度は足を運んだ。推進派、反対派の立場に関わらず、いろんな人から話を聞いた。「人間的なつながりが生まれて、初めて口を開いてくれることが何度もあった」
あるときのことだ。南島町の推進派住民のリーダー格だった男性を取材していた。その途中、男性は机の上にある資料を置いたままトイレに行った。
「わざと置いていったんだと思う」。中電からの預金(低金利の資金融資)の導入に賛同を求めるため、推進派が進める署名運動に関する「趣意書」だった。
裏付けのため、すぐに推進派の関係者に取材した。88年2月6日付の記事には趣意書の写真を付けて、こう見出しをつけた。「中電預金導入が目的か? 署名運動で推進派攻勢」
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当時の記事によると、この時期、南島町の反対派の漁師たちは、主力の養殖ハマチの低迷で苦境に陥っていた。趣意書には「組合員の生活資金にも事欠き、組合組織さえ危うくなる」としたうえで、「積極に中電の預金を導入することに有る」と書かれていた。
「とにかく原発にはお金が絡む。お金をちらつかせて、生活に困っている人たちにつけ込む。そうして住民たちを翻弄しているのが嫌だった」。北村さんは当時のことを振り返る。
個人的には原発に反対の立場だったが、推進派のことを否定していたわけではない。取材では、なぜ推進するのかを客観的にとらえることにこだわった。
2000年2月、知事による計画の「白紙撤回」要請も取材した。このとき知事が明言を避けた紀勢町の単独立地を念頭に、紙面では「南島の芦浜終結 原発残る」と伝えた。その後、紀勢町での原発計画が具体化することはなかった。
「もう伝えることはなくなった」。01年、紀州ジャーナルは休刊を宣言した。(大瀧哲彰)
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2005年に近隣自治体と合併し、南島町は南伊勢町、紀勢町は大紀町、紀伊長島町は紀北町になっている。肩書は当時のもの。
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