住民が止めた原発:7)知事が「白紙撤回」を表明

原発、止めてくれてありがとう

 「白紙に戻すべきであると考えます」

 2000年2月22日、北川正恭知事が県議会本会議で、ついに中部電力芦浜原発建設計画をめぐる態度を明らかにした。このとき180席ある本会議場の傍聴席は南島、紀勢両町の町議や住民らで埋め尽くされていた。

 「地元住民は長年にわたって苦しみ、日常生活にも大きな影響を受けていることを強く感じました」「37年間もの長きにわたり、このような状態が続いてきたことは、県にも責任の一端があることは事実」――。発言の途中、一瞬声を詰まらせる場面もあった。

 このとき傍聴席に座っていた紀勢町の推進派、谷口都さんは「白紙」という言葉にあぜんとした。「なんと……」。その後の言葉が出なかった。原発推進に燃えていただけに、裏切られた気持ちだった。それでも、知事が紀勢町の単独立地を明確に否定したわけではなかったことに、少しだけ希望を抱いた。

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 南島町古和浦の反対派、小倉紀子さんは、県議会の傍聴に出向いた夫・正巳さん(故人)からの電話を自宅で待った。トイレに子機を持ち歩くほど、知らせを待ちわびていた。

 「白紙になった」。電話の向こうで話す夫の言葉をすぐにのみ込めなかった。「白紙って」。最初、その意味が分からなかった。喜びをかみしめたのは、夫が帰宅してからだった。

 反対を貫いた古和浦の磯崎淑美さんに笑顔はなかった。「どうせまた裏切られる」と思っていたからだ。原発計画は1967年にいったん「白紙」に戻ったこともあったが、84年に再燃し、南島町は推進派と反対派で二分された。

 「知事が代わったらどうせアカンやろ」。そんな冷めた目で見ていた。

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 県議会本会議の終了後、北川知事は別室で南島、紀勢両町長と面談し、自らの見解について説明した。推進の立場をとっていた紀勢町の谷口友見町長はこみ上げた怒りを抑えきれなかった。面談は15分の予定が、35分まで延びた。

 「だまされた」。そんな感覚と同時に、「夢が覚めた」とも思った。

 この日の午後、中電の太田宏次社長が記者会見を開いた。そして、原発計画の断念を表明。37年間の長い闘争に幕が下りた。

 その数日後、南島町で反対を訴え続けた歯科医師、大石琢照さんは、1本の電話を受けた。白紙撤回の前に計画していたデモについて、警察の担当者からの問い合わせだった。デモは中止になった旨を伝えると、その担当者は思いもよらぬ言葉を口にして電話を切った。「尾鷲の漁師の息子として聞いて下さい。原発を止めてくださってありがとうございました」(大瀧哲彰)

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 2005年に近隣自治体と合併し、南島町は南伊勢町、紀勢町は大紀町になっている。肩書は当時のもの。

Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

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