住民が止めた原発:6)知事が現地入り 反対派の叫び「知事さん、助けて下さい」
知事が現地に 「何を言えば響くだろう」
1999年末までの2年半、中部電力が芦浜原発の立地活動を休止する「冷却期間」に入った。この間、県は南島、紀勢両町の状況把握に努め、地域振興のあり方についても検討するなど様々な取り組みを続けてきた。だが、冷却期間が明ければ、何らかの判断を示さなければならない。タイムリミットが刻一刻と近づく中、北川正恭知事が現地に入ることになった。
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南島町古和浦の反対派住民、小倉紀子さんは家事が手につかなかった。地区の住民代表として、知事に思いを伝える機会を与えられていたからだ。「何を言ったら知事に響くだろうか」。洗濯物を干しながら言葉が浮かぶと、冷蔵庫に貼った裏紙にメモした。
知事が現地入りしたのは99年11月16日。まず南島町に入って、議員や住民、漁協関係者の話を聴いた。
知事の目の前に立つと、小倉さんは頭の中が真っ白になった。緊張がピークに達し、何を言うか完全に忘れてしまった。言葉が出てこない。すると、県民署名運動の実行委員長を務めた大石琢照さんから1枚のメモが手元に届いた。「時間は十分にあります。落ち着いて」
そして、言葉を何とか絞り出した。「若い母親が、『あの店で菓子を買うならお金をあげない』『あの子と遊ぶな』と言う。それが一番悲しい。こんな古和浦では子どもも産めない。知事さん、助けて下さい」
10分もなかった。だが、何十分にも感じた。「ありのままの生活を伝えれば、知事にも届くはず」。開き直って話し始めたが、途中涙をこらえられなかった。
小倉さんの直後に古和浦の反対派住民、磯崎淑美さんが発言した。「賛成の組合員が死ぬと『1票減った』と思ってしまう。子どもまでそう言う」。混乱ぶりを理解してもらうため、人間としての恥ずかしさも包み隠さずに伝えた。
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南島町での聞き取りを終えた知事は、そのまま紀勢町に移動。同じように町議や住民たちの話に耳を傾けた。錦地区の女性たちでつくる推進団体「進婦会」の代表世話人を務めた谷口都さんは「原発と一緒に生きていくのも一つの方法だ」と訴えた。
丸1日かけて約100人から話を聴いた北川知事。当時の心境はどうだったのか。「原発の是非が生活そのものになっていた。身内同士のけんかに加え、葬式ですら賛成と反対に分かれてする。政治や行政にも責任があると痛切に感じた」
3カ月後に表明されることになる「白紙撤回」の要請。その判断に大きな影響を及ぼした一日だったことは、間違いなかった。(大瀧哲彰)
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2005年に近隣自治体と合併し、南島町は南伊勢町、紀勢町は大紀町になっている。肩書は当時のもの。
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