住民が止めた原発:3)推進に動いた町「町のための選択だった」

推進派「少しでも町を良く」

 南島町古和浦から峠を越えると、紀勢町錦の町並みが広がる。芦浜周辺の漁業権を古和浦漁協と分け合う錦漁協は、原発建設計画が浮上した当初から、推進の動きを見せた。

 そうした中、紀勢町ではカネをめぐる問題が表面化した。1978年に当時の町長が、中部電力による推進活動のカネにからんで逮捕される原発汚職事件が起き、この町長は辞職した。

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 芦浜原発計画が再燃した直後の86年、町長選では谷口友見さんが初当選した。「(推進と反対で)弾が飛び交っている所に、隊長として突っ込むような感覚だった」。当初、町長としての立場は明らかにしていなかったが、徐々に推進に傾いていった。

 錦の出身で、高校卒業と同時に地元を離れた。24歳で妻と戻ってきた。数年後、親戚が反対派の漁師に金づちなどで突然襲われ、顔にけがを負った。この事件に衝撃を受けて、原発計画について自らも考えるようになった。

 南島町と同様、紀勢町も漁師町。住民の多くは漁業で生計を立てていた。町長になると、人口減少と少子高齢化社会を見越した準備が必要だと考えた。そのためにも、原発誘致で町にもたらされるお金や雇用に期待を寄せていた。

 紀勢町は2005年に、合併して大紀町へ。現在、大紀町長を務める谷口さんは当時を振り返って言う。「苦労するだろうが、少しでも町を良くできるのは、原発であり、お金だった」

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 99年には紀勢町の女性たちが立ち上がり、推進団体「進婦会」を発足させた。谷口都さんが代表世話人を務めた。

 難病だった長男は36歳で亡くなった。町内に総合病院はなく、長男は亡くなる前、車で1時間以上かかる松阪市内の病院に通っていた。町内には車を持つ人も限られていて、病気はまさに命に関わる問題だった。

 静岡県の中電浜岡原発を視察した際には、地元の総合病院も訪れた。「原発のお金でこんな立派な病院ができるんだ」。期待は膨らむ一方だった。

 進婦会のメンバーは、原発やエネルギーの勉強会を開いたり、原発が立地する地域へ視察に出かけたりした。原発の外壁は頑丈に囲われていることを、実際に自分の目で見て確認した。担当者から説明も受けた。

 「どこを見ても安全だと思った」。夫とも「これからの時代は原発がなきゃいかんな」と話していた。

 当時、原発推進に迷いはなかった。「漁場はいつまで続くか分からないし、若者の働く場所もない。子どもたちのため、町のための選択だった」(大瀧哲彰)

Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

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