住民が止めた原発:2)「反対」「推進」南島町の闘争

みんなの海、条例で守る

 県南部の熊野灘に面する芦浜は、夏になるとウミガメが産卵にやって来る静かな入り江だ。1963年、この地を37年にわたって揺るがすことになる芦浜原子力発電所の建設計画が浮上した。

 芦浜周辺に漁業権を持つ南島町古和浦地区の漁師らを中心とする反対運動で、計画は67年にいったん阻止された。だが、84年に当時の田川亮三知事が原発関連予算を県議会に提案。85年に県議会が「芦浜原発立地調査推進決議」を採決し、再び南島町を中心に反対運動が広がった。

 93年4月30日、役員選挙が開かれた古和浦漁協に、緊張した空気が張り詰めていた。それまで強硬に反対の立場を貫いてきた古和浦漁協だったが、この選挙で原発推進派が執行部メンバーの多数を占めた。

 そして94年2月、30年間堅持した原発反対決議を撤回した。「古和浦の逆転」と呼ばれる出来事だった。

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 小倉紀子さんは、漁協の理事だった夫の正巳さん(故人)とともに、反原発運動に身を置いた。狭い道路に500軒ほどの民家が並び、肩を寄せ合う古和浦を「みんな親戚みたいな場所」と言う。だが、推進派が台頭してくるにつれて、そんな地域はぐちゃぐちゃになった。

 「中電や国と闘っているはずなのに。それがいつの間にか、住民同士で憎み合うようになった」

 無言電話が夜中まで鳴り続けた。頼んでいない宅配便も届いた。小さい物は痔(じ)の薬から大きい物はダブルベッドまで、毎日のようにだ。差出人の名前が書かれていない手紙には、「殺すぞ」「バラすぞ」といった雑言が並んだ。

 漁協の理事選の日が近づくと、推進派の組合員が毎晩自宅に訪れ、正巳さんが立候補しないように頼みに来た。「小倉正巳を説得した組合員に3千万円」。そんな話も広まった。

 「小さい漁村だから推進派の住民が死ぬと、それが親戚でも反対派は喜ぶ。逆もそう。人の不幸を喜ぶ場所に中電がしてしまったんだ」。小倉さんはただ悲しむしかなかった。

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 一方、古和浦の逆転を前に、「古和浦だけに決めさせない」と、準備を進めている人たちもいた。

 南島町議会で93年2月26日に可決された「町民投票条例」だ。原発立地について全町民の過半数の同意を求める条例で、反対派の町民が主導した。

 当時、町議会の議長だった橋本剛匠さんは、運動の中心的存在だった。芦浜原発計画を止めるために、83年の町議選に立候補して初当選。「芦浜はみんなの海。全町民の了解が必要」と、条例制定に尽力した。条例が可決されると、喜びをかみ締めた。(大瀧哲彰)

Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

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