糸
着いた。浜松を出てから4日目の昼過ぎ。僕は函館にいた。
1週間前に会社を辞め、青春18切符を使った鈍行旅。
大きめのバックパックを背負った自分をトイレの鏡で見る。
やっぱ自分はこうでなくちゃと思う。
仙台、盛岡、青森と過ごし、津軽海峡を渡る。青函フェリーのデッキチェアに座る。
夏の終わり、海風を感じながら自分という存在について思いを巡らす。
感覚だけで生きてきた。思えば、25年間ずっとそうだった。なんかこっちの方が面白そう、ワクワクする。
自分だけにしか分からない感触を頼りに、この生きづらい世の中をそれなりに渡り歩いてきたじゃないか。
決して誇れるようなことばかりしてきたわけではない。
これからもそういった過ちを幾度となく繰り返していくのだと思う。
それでもたしかにいま僕はここにいる。その事実がじんわりと僕の心を温めてくれる。
船内でドイツ人の青年と出会う。東京大学の交換留学生として機械工学を学んでいると自己紹介をしてくれた。
僕は機械工学についての知識をあいにく持ち合わせていないので、ただ「ヘぇ」と感心する。彼と安倍前内閣総理大臣のリーダーシップについて議論を交わしながら、4時間に及ぶ船旅を楽しむ。
人との出会いは旅の醍醐味だ。
函館港に着き、青年に別れを告げる。
限られた人生という時間軸の中でほんの束の間でもお互いの時間が交差することに僕は感動する。
その先二度と交わることがない線だとしても、交わったという記憶は僕の心に残るのだ。
函館バスで函館駅まで行き、市電に乗り換える。整理券を取り、目についた座席に座る。
ノースフェイスのリュックサックからワイヤレスイヤホンを取り出し、The 1975のsomebody elseを聴く。
しばらく車窓にうつる景色をあてもなく眺める。
いま僕は函館にいるんだと思う。
大学時代4年間を過ごした街。僕にとって大っ嫌いで大好きな街。僕にとって特別な街。
ふと、向かいに座っている女性と目が合う。
身長は160cm後半ぐらいだろうか。
淡いワンピースに毛先を茶色に染めたパーマヘア、薄く塗られた化粧。ナチュラルで飾り気のない等身大の彼女に僕は心を奪われた。
何秒ぐらいたったのだろうか。僕は目をそらすことができないでいた。
真っ直ぐで濁りのない澄んだ瞳。ああ、俺はこの人と結婚するかもしれないな。
自然とそう考えている自分がいた。
恋はいつだって唐突だ。予告もなければ前触れもない。準備もなければ用意もない。
人生という短い時間軸の中で僕たちは、何を求め、何を手に入れ、何を失い、何を感じるのだろう。
理解できない自分以外の人間について想いを寄せようと努めるとき、相手の傷すらもまるごとそっくり自分事として受け入れようと覚悟するとき。
その刹那に、生きている意味を感じられるような気がするのは僕だけなのだろうか。
函館での新しい生活。築100年を超える古民家にて同志と学びながら共に生きてゆく。
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