原発を止めた町の訴え「安全なら都会へ」

 「原発を止めた町」が三重県南部にある。


 1963年、南伊勢町古和浦地区(旧南島町)と大紀町錦地区(旧紀勢町)にまたがる入り江「芦浜」に中部電力による原子力発電所の建設計画が持ちがあった。古和浦地区を中心に、地元では反対運動が繰り広げられた。反対と推進で二分され、親戚同士でもいがみ合った。

 原発計画の停止が決まったのは今から20年前の2000年2月。当時の北川正恭三重県知事が県議会で「白紙撤回」を中部電力側に求めた。それを受けた中部電力が、その日のうちに原発計画の断念を決めた。


 反対を訴えた人たちの理由は単純明快だった。

 「先祖からつないできた海を守るため」「将来の子どもを守るため」


 そして反対運動を繰り広げた漁師たちは、訴えた。

 「原発が安全なら、都会に持って行け」


 計画の白紙撤回から20年に合わせ、朝日新聞で9回の連載をしました。連載は随時掲載するとして、下記の記事では、芦浜原発計画の概要をまとめました。


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芦浜原発計画、今も住民に亀裂 中電、断念から20年 

 賛否をめぐって三重県南部の漁村を二分した中部電力芦浜原発の建設計画が断念されてから22日で20年になる。原発は造られなかったが、住民たちの間に生まれた亀裂は今も残されたままだ。

 計画は中部電と三重県が1963年に発表。翌64年に南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる「芦浜」が候補地に決まった。

 地元は推進派と反対派で二分された。1997~99年に立地活動を休止するといった「冷却期間」を経て、2000年2月22日に当時の北川正恭知事が県議会で、計画の白紙撤回を求める考えを表明。それを受けて中部電が同日に社長会見で計画断念を発表するまで、地元での混乱は続いた。

 その余波は20年たっても消えることがない。「今も推進派の人とは話ができない」。旧南島町古和浦地区で、反対を貫いた磯崎淑美さん(64)は言う。

 芦浜周辺に漁業権を持つ古和浦漁協では、計画が持ち上がった当初は反対派の勢いが強かった。だが、中部電による説得や懐柔策で、90年代には推進派が台頭。磯崎さんは、推進派からの嫌がらせに頭を悩ませた。自転車で町を走ると、推進派の若者に道をふさがれたことも。それでも当時は反対運動を続けた。「子どものためにやってたんだ。みんなの海だから」

 一方、旧紀勢町では、計画が浮上した当初から漁協をはじめ、推進派が多数を占めていた。主婦の谷口都さん(89)は99年に地元の女性たちと推進団体をつくり、代表世話人を務めた。「原発ができればお金が落ちて町も潤うし、働き場もできる。これからの時代は原発だと思っていた」

 地元の振興につながると信じていた原発計画はなくなり、町内には若い人の働き口が多くはない。「あのとき原発が来ていたら、町の暮らしも良くなっていたかも」。過疎化が進む町で暮らす今、そんな考えが時折頭をよぎる。

 三重県によると、19年10月時点の高齢化率は南伊勢町で53・1%と、県内で最も高い。2位の大紀町も50・0%で、県平均の29・4%を大きく上回る。

 南伊勢町で歯科医院を開業する大石琢照(たくてる)さん(63)は町の将来を懸念しながらも、「混乱したころのことは思い出したくもない。もし芦浜に原発があったらなんて考えないようにしている」と話した。


「地方分権、時代の転換期だった」 白紙撤回求めた北川元知事インタビュー

 20年前に知事として計画の白紙撤回を求めた北川正恭さん(75)に、当時の判断に込めた思いを聞いた。

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 芦浜原発計画は県政上で大きな課題の一つでした。知事就任時、私の時代で何らかの形で決着をつけることは使命だと思いました。

 現地を訪れて、100人以上から話を聞きました。原発の問題で身内同士がけんかをしたり、葬式も賛成派と反対派で分かれたりしている。原発の問題が生活そのものになっていて、地域を蹂躙(じゅうりん)していました。こんな状態を見過ごすわけにはいかないと思いました。

 エネルギー政策は国策ですから、知事には何の権限もありません。その中でも私が結論を出そうとしたのは、三重県全体を統括する責任者として対応するべきだと考えたからです。

 国に仕事を指図される機関委任事務が廃止されて、ちょうど地方分権の時代に入るころで、地方が自分たちの主張をしていいという考えにたどり着きました。「白紙撤回」を宣言できたのは、時代の転換期だったからとも言えます。(大瀧哲彰)

【写真】かつて芦浜原発の建設が予定されていた場所

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 芦浜原発は住民運動が止めた。

 だが、芦浜の土地は今でも中部電力が所有している。北海道寿都町では核のごみの最終処分場問題が浮上した。自分たちの世代の過ちを、未来の子どもたちに押しつけるとんでもない話だ。中部電力が土地を所有する芦浜も他人事ではない。

 きちんと反対を訴えられるため、20年前に原発を止めた人たちの声をつないでいきたいと思う。


大瀧哲彰

Tetsuaki Otaki

95年北海道生まれ、大阪府在住。新聞記者。
執筆した記事、取材で感じたこと、文字にならなかった取材を文章にします。北海道、広島、三重、大阪、朝鮮半島の話題が多いです。

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