君がまだ知らぬ夜があり、僕がまだ知らぬ朝がある
タイトルはtofubeatsの代表曲『水星』からの引用だ。私の大好きな曲だ。
誰にだって人生の中で忘れらない夜が一つや二つはあるだろう。私にもいくつかあって、今回は大学二年生の頃に留学していたロンドンでの一夜をここに記したいと思う。
留学が始まって半年間は大学の寮に住んでいたが、その後は自分でシェアハウスを探してイーストロンドンに引っ越した。何もかもが北海道(函館の大学に通っていた)よりも高額なため、引っ越し先は広さ4畳半ほどで南京錠で施錠をするような古びたフラットだった。
そこで大事件が起きた。ある日、私は自分で施錠した部屋に入れなくなってしまった。ロックアウト状態である。鍵を無くしたのではなく、鍵を自室に残したまま外出してしまったのだ。南京錠は開錠の時だけ鍵が必要で、施錠の際には鍵は不要だ。「あ、やったなこれは。」と思った。物事を楽観的に捉えるタイプだが、こればっかりは流石にマズイなと感じた。季節は冬。バイトから帰ったタイミングのため時刻は0時過ぎ。翌日は1コマから授業があり、教科書類は鍵の掛かった部屋の中にある。何としてもこの状況を脱さなければ。私はわずかな知恵(ほぼない)を絞ってこのミッション・インポッシブルに対するプランを高速で練った。
プランA:友人を頼る
ロンドンはナイトバスが走っているため、滞在先さえ見つかれば移動はできる。また、友人のほとんどは以前住んでいた寮にいるため連絡さえつけばいつでも行ける。しかし、時刻はすでに0時を過ぎている。さすがの私も深夜に友人に「今から泊めてくれ」と電話するのは気が引けた。迷惑をかけたくなかったし、「こっちの状況お構い無しになんだこの図々しい電話は」と思われるも嫌だった。よってプランAは無し。(後日この話を友人すると、「え、全然電話くれたらよかったのに!」といってくれた。涙)
プランB:南京錠をぶち壊す
近所のコンビニ的なお店が奇跡的に深夜1時まで開いており、そこに奇跡的に糸ノコが売ってあった。こんな時間に糸ノコだけ買うなんて怪しさマックスのふぁっきんジャパニーズ確定。でも今はそんな事を考えている場合ではない。購入後、鼻息を荒くしながら自室に向かい、糸ノコで南京錠の破壊を試みた。するとどうでしょう、全く切れないじゃありませんか。南京錠の表面に微妙に線が入ったような気もするし元からあった線のような気もする。しかもギコギコ深夜にうるさい。隣人はもうすでに寝ている時間。このままでは余計なトラブルをまた一つ増やしてしまいそうだし、深夜に糸ノコを片手に持ったふぁっきんジャパニーズは下手したら通報案件だ。よってプランB失敗。
プランC:専門家に依頼する
調べたところ、南京錠でロックアウトというのはこっちでは割とあるあるらしく、(日本ではそもそも南京錠の部屋は少ないだろう)ロックアウト時のお助けサービスを発見した。しかし、当然ながら営業時間外だった。よってプランCは無し。
プランD:あきらめてキッチンで寝る
キッチンは共有だった。6畳ほどのスペース(自室よりも広い)で、机と椅子も置かれているため、寝れなくはないなと思った。しかし、変な匂いがするし、床も微妙に油っぽい。極めつけに1階には70歳越えで私よりも背が高い(180cm以上)巨人の老婆(大家)が住んでいた。実は以前、私はこの巨人老婆(大家)と風呂の利用を巡って一度揉めていた。こっちでは湯船があるのにも関わらずお湯をはることはほぼなく、シャワーが一般的だった。そんなことも知らずに私は毎日お湯をはっていたのだが、ある日突然巨人老婆に「お前はいつも水を出しっぱなしにして!水道代がいくらかかるか知ってるのか!」と怒鳴られたのだ。出しっぱなしにしているのではなく、お湯をはっている途中だと反論したかったが、当時の私のゴミイングリッシュでは上手く素早く伝えることができず「オ、オウッ、オウ」とオットセイみたいな声を出してしまった。それ以来この巨人老婆とは関係がギクシャクしており、万が一キッチンで寝ているとこを見られたら次は命が危ない。何しろ老婆は巨人だ。よってプランDも無し。
もう打つ手がなくなってしまった。私は途方に暮れた。ああ、寒い。だんだん意識が朦朧としてきた。俺はここで死ぬのか、そうあきらめかけた瞬間、私は閃いた!
「ナイトバスで寝ればいいのでは?」
プランE:ナイトバスで寝る
ロンドンのナイトバスは24時間走っている。しかも定期を持っていたため、指定の区間であれば何度乗っても料金は変わらない。これが最後の希望だ。私は最寄りのバス停まで生きるために走った!そこからセントラルロンドン行きのバスに飛び乗り、最後列を陣取った。意外にもほかに何人か乗客がいたが、私は気にせずゆっくり瞼を閉じた。
心地よい揺れが止まったのを感じ目を覚ます。終点だった。しばらくすると行き先の表示が今度は自分の住んでいる街の方向に変わる。このまま乗っていれば次は来た道をたどるようにバスは走るのだ。怪しさマッドマックスだがこのまま降りないでいようと決めた。すると、自分の他にも同じように降りないままの人たちが結構いた。まさか彼らもロックアウト中?なんて呑気に思ったが、彼らをよく観察してみると失礼ながらあまり綺麗とは言えない服装だった。そこではっと気が付いた。彼らはホームレスなのだ。ロンドンにはホームレスがたくさんいる。冬は彼らにとって最も厳しい季節だ。調べてみると、ナイトバスを「寝ぐら」として利用するホームレスの数は年々増加傾向にあるとの事だ。私は緊急時の避難場所のような感じで今晩だけこのバスで寝ているが、彼らにとってはここが日常なのかもしれない。そう思うと遣る瀬無い気持ちで一杯になり、自室に入れないことも明日の授業に教科書を持っていけないことも、なんだかどうでもいい事のように思えてしまった。彼らは「生き延びる」ためにナイトバスを「寝ぐら」にしている。
楽しいとか楽しくないとか、有意義な人生だとか生きる意味だとか、社会に貢献しているだとか生産性だとか、そんなことはどうでもいい。そういう思索自体が無意味。その前に人間は、食べて、生き延びなければならない。彼らがどういった経緯でホームレスになったのかは分からない。ただ家賃を浮かすために夜はナイトバスで寝ているだけで、昼間は案外楽しく生きている人もいるのかもしれない。モロッコに行った時は、まだ幼い子供達が物乞をしている様子をたくさん見た。しかし、なぜかその時よりもこの夜の強烈なリアリティの方が頭に残っている。
気がつくとすっかり夜明けだった。バスから降り、大学へ向かった。その日の1コマの授業は、クラスメイトに教科書を見せてもらった。2コマは空きコマだったため、そのタイミングでロックアウト時のお助けサービスに電話した。すると、1時間ほどでアルソックみたいな服装の男が、バイクのヘルメットをしたまま部屋の前までやってきた。すると、「This one?」とだけ言って、小型の電動ノコギリで南京錠を切断した。拍子抜けするほど簡単に切れた。30ポンド(約5000円)を手渡しすると男はバイクに乗って去っていった。部屋に入って南京錠の鍵を探した。が、いくら探しても見当たらない。30分ほど探し回っていた時にはっと気が付いた。もしかして、と背負っていたリュックのサイドの隠しポケットに手をやるとそこに鍵はあった。あの夜はなんだったのか。呆れて視線を落とした先には、昨晩購入した糸ノコと切断された南京錠があった。
この夜とは関係のない日に撮ったバスに乗っている私
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